結局のところ、状況が複雑になればなるほど100%正しい見解というのはどの情報でもないのでしょうが、メディア情報もある一部分であり、政府側の公表も同様だと思うので、あとは自分がどの情報を取り入れて生きていくかってことになるんだと思います。
こう言ってたくせに違うじゃないか、とか人任せにしたり、指示待ち症候群のように何か言ってくれるのを待ち続けるよりは自分でとった情報に対して信じて行った行動や態度は自分で責任取るってことが大切なんだろうなと思うのです。
政府は隠してるとかメディアは国家の犬的ないろんな批判もよく読みます。
夫はよく私が批判的な意見を述べると必ず「批判するなら代案もだして。」と言います。
文句言うならこうしようとか、こうしたらよいのではという提案、具体案もつけるべきだと私もことを思う時に、人の振り見てわが振り直せ、だなと実感しています。
遠くでガタガタ文句言ってるよりもくもくと物資援助に奔走しているボランティアの方々の言葉のほうが説得力がある。
テレビでみる映像より自分と同じ視線で被災地の光景が目に焼きつく。物資が届かない!という人に避難場所と正確な住所をください!届けにいきます!と声をあげている。
http://ameblo.jp/nagai-michi/
この方のブログを読んでいると、被災地の方々を「かわいそうな福島な人たち」と思えなくなる。
彼らは買占めで物がない!と叫んでる私たちより物がなく仕方なく節電している私たちよりもユーティリティが少ないのにも関わらず謙遜で、そして希望にむかって「より生きてる」
そう感じるんです。
そしてこういうボランティアの方々のリアルな思いや情報はメディアや紙面で流している情報よりももっと正確でより具体的で良心的だと思いました。
私にできることは彼らが行っていることより少なくて小さい。
小さな子供を抱えた私がいますぐ出来ることなんてたかが知れてる。
でも義援金や物を送るだけでなく何か出来る事がないかと思っていたら教会で奉仕する機会が巡ってきました。
教会からはすでに大量の毛布が送られたらしいのですが、来週、被災地の方々のために衛生キットを詰める作業があるので参加してきます。私たちのブロックの割り当ては4000個です。
歯ブラシなど身の回りのものが少ないと聞きました。
ほんのわずかなことしかできませんが、少しでも役に立てたらと願っています。
困っている人がいたら助ける。
そんなシンプルな原則を被災地の方々を始め世界中の人々が様々な形で表わしてくれるのを知る素晴らしい機会にもなっています。
人に尽くすとはどういうことか、生きるというはどういうことかを改めて考えせられています。
放射能水のことも考慮してゆいとと九州に一時退避すべきかとも思いましたが以下の記事を読んで今のところ思いとどまっています。
もちろん状況は日々変化するものなので、いつまでもこれが絶対に正しいとは言えないのですけどね。
http://clip.kwmr.info/post/3896045912
今が大丈夫でも他のところで何が起こるかわからない。もう災害は地球レベルのことなのだし。
どこにいれば安全、と確信を持って言える場所なんてもうないだろう。
「例えば、富士山が爆発して、東京が火山灰に埋まるかもしれない。
起こり得る自然災害は何通りもある。我々はこうした可能性をすべて考慮し、それが起きた場合に社会がどう対応するのがベストか考える必要がある」
3.11以前の生活にはもう戻れないと感じています。
私たちの生活や子育てもずいぶん変わっていくのだろうと思います。
けれども、よりよい自分になっていく機会であるとも思います。
いままで日本はなまぬるい生活に慣れ切っていた。
これからはもっと先人の知恵をお借りしながら、私たちよりもっと賢く、世界に
より貢献していく人材としてゆいとを育てていけたらと切に願っています。
なんだかお堅い文章になっちゃいましたが、ゆいとを正しく育てていくための
決意表明ってところでしょうか。(笑)
こう言ってたくせに違うじゃないか、とか人任せにしたり、指示待ち症候群のように何か言ってくれるのを待ち続けるよりは自分でとった情報に対して信じて行った行動や態度は自分で責任取るってことが大切なんだろうなと思うのです。
政府は隠してるとかメディアは国家の犬的ないろんな批判もよく読みます。
夫はよく私が批判的な意見を述べると必ず「批判するなら代案もだして。」と言います。
文句言うならこうしようとか、こうしたらよいのではという提案、具体案もつけるべきだと私もことを思う時に、人の振り見てわが振り直せ、だなと実感しています。
遠くでガタガタ文句言ってるよりもくもくと物資援助に奔走しているボランティアの方々の言葉のほうが説得力がある。
テレビでみる映像より自分と同じ視線で被災地の光景が目に焼きつく。物資が届かない!という人に避難場所と正確な住所をください!届けにいきます!と声をあげている。
http://ameblo.jp/nagai-michi/
この方のブログを読んでいると、被災地の方々を「かわいそうな福島な人たち」と思えなくなる。
彼らは買占めで物がない!と叫んでる私たちより物がなく仕方なく節電している私たちよりもユーティリティが少ないのにも関わらず謙遜で、そして希望にむかって「より生きてる」
そう感じるんです。
そしてこういうボランティアの方々のリアルな思いや情報はメディアや紙面で流している情報よりももっと正確でより具体的で良心的だと思いました。
私にできることは彼らが行っていることより少なくて小さい。
小さな子供を抱えた私がいますぐ出来ることなんてたかが知れてる。
でも義援金や物を送るだけでなく何か出来る事がないかと思っていたら教会で奉仕する機会が巡ってきました。
教会からはすでに大量の毛布が送られたらしいのですが、来週、被災地の方々のために衛生キットを詰める作業があるので参加してきます。私たちのブロックの割り当ては4000個です。
歯ブラシなど身の回りのものが少ないと聞きました。
ほんのわずかなことしかできませんが、少しでも役に立てたらと願っています。
困っている人がいたら助ける。
そんなシンプルな原則を被災地の方々を始め世界中の人々が様々な形で表わしてくれるのを知る素晴らしい機会にもなっています。
人に尽くすとはどういうことか、生きるというはどういうことかを改めて考えせられています。
放射能水のことも考慮してゆいとと九州に一時退避すべきかとも思いましたが以下の記事を読んで今のところ思いとどまっています。
もちろん状況は日々変化するものなので、いつまでもこれが絶対に正しいとは言えないのですけどね。
http://clip.kwmr.info/post/3896045912
今が大丈夫でも他のところで何が起こるかわからない。もう災害は地球レベルのことなのだし。
どこにいれば安全、と確信を持って言える場所なんてもうないだろう。
「例えば、富士山が爆発して、東京が火山灰に埋まるかもしれない。
起こり得る自然災害は何通りもある。我々はこうした可能性をすべて考慮し、それが起きた場合に社会がどう対応するのがベストか考える必要がある」
3月11日の津波が残した瓦礫が撤去されるにつれ、波の怒りを免れた人々が覚悟して次の不測の災害に備えているのが難しくなっていく。
しかし、努力する価値はある。セネカとサムライは間違いなく同意するはずだ。
By Mure Dickie
3.11以前の生活にはもう戻れないと感じています。
私たちの生活や子育てもずいぶん変わっていくのだろうと思います。
けれども、よりよい自分になっていく機会であるとも思います。
いままで日本はなまぬるい生活に慣れ切っていた。
これからはもっと先人の知恵をお借りしながら、私たちよりもっと賢く、世界に
より貢献していく人材としてゆいとを育てていけたらと切に願っています。
なんだかお堅い文章になっちゃいましたが、ゆいとを正しく育てていくための
決意表明ってところでしょうか。(笑)