本屋さんでふと手にした本。
江原啓之さんの「スピリチュアルセルフ・カウンセリング」
通勤時間に、と思って購入しました。TVで拝見して、
なんかあったかい人だなあって思ったけど文章も温かく
よ~し、頑張るぞ!って気持ちになれました。
その中で子供のことについての項目があり、ちょっと
ドキっとした言葉がいくつかあったので紹介したいと
思います。
「子供が欲しい」と思ったときは「ボランティアを
してもいい」と思ったとき、ということです。
という言葉があった。この言葉の意味は、
神様から送られてくるたましいを私たちの体をお貸しして
産んで育てるという神様へのボランティアをするから、
赤ちゃんが欲しいと思うときには「ボランティアできますよ」
って思うことになる、ということなんです。
「子供がいると寂しくないから。」という理由で子供が
欲しいと思うのは問題です。
「自分の分身を残したい」「遺伝子を残したい」というのも
愛情の電池が切れているから起きてくる気持ちです。
子供が欲しいと思ったとき、自分の気持ちはどちらなのか。
愛情の電池が切れているから欲しいのか、そうではなくて
「私が何かをしてあげられる存在が欲しい」という自然で
素直な気持ちなのか、それを確認してみましょう。
なんだか「あれ?」って思った。
・・・私はどうして赤ちゃんが欲しいのかな?
当たり前に欲しがっていた私の今さらながらの素朴な疑問。
一番の動機が子供を迎えてりっぱに育てあげるっていう
ところに気持ちがいってないぞ・・・。ボランティア、できますよ
って気持ちきちんと持てていない。
正直~~~なところ、一番のウェイトを占めているのが
体力的なところでなんとか35歳のうちに妊娠して
36歳で産みたいから。この気持ちが8割くらいだと認識。
ものすごい原始的発想・・・。とほほ。・・・・( ̄⊥ ̄lll)・・・・・
今朝、友達からの近況報告メールがきていて読んだら
奥さんがおめでたで4月に出産するってことが書いてあり、
私たちより後に結婚した夫婦がまたもやご懐妊だ・・・と
うれしい気持ちもあるけど、報告を聞くたびに毎回取り
残されたような気持ちも感じている。
ここですでに私の気持ちにはゆがみがあるのかも・・・と
はた、と気付いた。体と年齢のことを思うと早く産みたいって
いう強い気持ちがあるから人のおめでたを聞くと焦るわけだ。
ちょっと視点をかえて、赤ちゃんを気持ちよく迎えることが
できるよう、神様に準備できてますよ~って言えるように
これからいい備えをしていきたいなって思います。