『オアスペ』凄い!!

天国と地球と霊を解き明かした書。
(ご出版、ありがとうございます。)




前回の続き



【エスクラの神書】より
(紀元前約1550年~紀元後約1450年リカのサイクルの3400年の最初の3000年)(コスモン紀元前約3400年~400年)
(3000年〔エスクラ〕と400年〔エス〕を足して、ボンのサイクル全体の3400年と等しくなる。)



(※“出発”の準備ができていたとき、カユは弟子に話された。)

「2種類の人間を私は見つけた。

《ある御業を成就するために神々によって運命を定められる人間》と、
《運命を持たずに生まれる人間》の
2種類である。

前者は、大きな働きを先頭に立って果たすので、誤って最高の者と呼ばれる。

《しかし、彼らはそれでも【神々の手の媒体】にすぎない。》

《運命の御業を持たずに生まれる後者》は、
前者を決して理解できない。」


「【【 “(エスの)御光が見えるほど《近く》に生まれるので、その【御光】を信じて、信仰することは、大きな喜びである。”

“ 創造主から <あまりにも離れている> ので、創造主の人格と存在を信じることができないことは、哀れである。” 】】」

(※最も、そして本当に豊かなのは、創造主の近くに居られる人。最も、そして本当に貧しいのは、創造主から遠く、遠く、離れている人。宇宙で、助けが必要なのはこの方々だ。)


「私は妻と離婚した。
なぜなら、妻は、信念または信仰を持つ子供を産むことができないからである。

< 欲望が肉体的利己心にある女性 >の束縛を、
男性は受けてはならない。

そして、女性にも同じ権利がなければならない。」

(※しかし、どのようにカユは妻と結婚したのか。<最も “哀れな” 状態である女性>を妻として結ばすことを創造主はされたりする。創造主の娘であり貧しい状態でいる女性を救い豊かな女性へと、真に幸せな女性、女性の中の女性にすることも、カユの責任であり、カユの魂の自己実現となったはずだ。カユに放棄された妻の魂を救えるような男性は他にいただろうか。この結婚の成就には、カユの魂の別の面の開拓が必要だったはずだ。更なる身を屈ませての慈悲と慈愛の発現、工夫、純粋さ。)


「主神と結婚した者が、
どのようにして地球(世俗)と結婚した者と住むことができるか。
(※カユは、どうして妻と結婚したのか。妻の闇に光を、カユならば届けられたはず。)」


「一人の人間にとって、天の父の喜びがあるので、独身は最高の生活である。
(※天の父の喜びを夫婦が分かち合いながら暮らすことが最高の生活であり、カユは誤っている。)

しかし、この喜び(※天の父の喜び)がない者にとって、独身は重い罪である。

社会は、両方の状態を認めなければならない。

(※いずれにせよ、創造主の世界は、光と闇から光が分かるように進む。それゆえ多様な状態の結婚、全く結婚のない独身が存在してゆくだろう。さらなる光を見いだし、吸収できるように。)」

「独身と結婚には中庸がない。
したがって、両方とも必要である。」
(※結婚の喜びを本当に知るのは、結婚を失ってだ。闇とは本当に光を教えてくれるものである。【光と闇を両方知り、更なる光を会得しながら進む魂。】)


「独身を望む者たちは、人類の終わりを近づかせ、
結婚を望む者たちは、生命の誕生を近づかせる。」

「独身と結婚の間で争う必要はない。
両者の運命とも、いつかは終わることになる。」




「国が過疎であるとき、
< 極端な者たち > は、行って、離れて住むことができる。
そのような国を統治する、
または彼らの前で極端な教えを賛美することに
意味はない。

しかし、国が過密であるとき、
極端な者たちと中庸の者たちは、
近くに住まなければならない。

彼らを賢明に統治することは、
楽な問題ではない。」

「大勢で最小の土地に一緒に住んで、
(※独りでなく生まれも育ちも異なりながら巡り合った男女が二人で小さな部屋に一緒に住んで、)

しかも平和と豊かさがある者たちは誰でも、
(※しかも平和と豊かさがある男女の組み合わせはみな、)

すべての民の中で最高である。
(※すべての民の中で最高を達成した男女である。この組み合わせが、その後に更に大勢の人々と平和と豊かさを共有してゆける、はじめの一歩であるから。)」


「極端な教えが実行できない場合は、
より極端でない教えを持つことの方がいい。
羊の群れのような民は、リーダーについて行く傾向が強い。

(※というより、自ら考える感覚がないため、その時に皆がしているようにすることを死守したがる。皆とは違うことは死につながるかのように極端に恐れる。それが羊の群れだ。善悪の判断能力は無い。周囲と同じか否かの感覚。はあ、タメ息。考えることが霊であるから、そのような国の民の霊体はとても未発達なのだと思う。。幼い霊という状態。)

この場合、
政治家、弁護士、裁判官は、国を戦争に陥らせる。」

「リーダーが大衆を悪に扇動できないように、
法律を制定することは、叡智である。
すべてのリーダーが亡くなれば、
民そのものはそれほど悪くないかもしれない。
それでも、人の生命を奪うことは間違っている。
なぜなら、
【生命とは人間が所有しているものではなく、
ヤーウェイのみと共にあり、
ヤーウェイのものだから】である。」







次回に続く



『オアスペ全訳第2巻』P588,589




“ヤーウェイの御名において
「媒体の身」のしるしで
敬礼をお送りします!”