『オアスペ』凄い!!
天国と地球と霊を解き明かした書。
(ご出版、ありがとうございます。)
前回の続き
【エスクラの神書】より
(紀元前約1550年~紀元後約1450年リカのサイクルの3400年の最初の3000年)(コスモン紀元前約3400年~400年)
(3000年〔エスクラ〕と400年〔エス〕を足して、ボンのサイクル全体の3400年と等しくなる。)
それから、カユ(※孔子)は72人の弟子の間で保存の仕事を割り振った。
古代人の書物を72人に公正に割り当てた。
カユの叡智と学問があまりにも偉大だったので、
12日間で、弟子の何人かは報告を始める準備ができていた。
そして、これらの報告から、カユが口述し、筆記者がカユの言葉を書きとめた。
委員会がカユの前で改訂を提示したとき、
カユでさえ以前に知っていたものが、会議で読まれた。
カユはその内容について指示を出して、必要な手直しをした。
その後、手直しされたものが筆記者に渡されて、改訂が完成された。
その後、会議の最初の全会期は8年半であった。
その期間に、彼らはすべての御業を終えた。
しかし、カユの叡智と記憶があまりにも偉大だったので、
カユは、弟子の誤りから、2年の推敲に必要な十分な材料を引き出した。
“ このように、カユの言葉から、1万8千冊以上の書物の要約を含む20冊の書物が出された。”
“ そして、全世界のどんな人間も、
このような学問の大偉業の10分の1さえ
してこなかった。”
筆記者は、すべての弟子のために、6部を書き残した。
そして、書物がこのように出されて、
“出発” の準備ができていたとき、
カユは弟子に話された。
「最高の満足とは何であると思うか。」
そして、弟子がそれぞれに答えた後、
師は言われた。
「《力の限り最高のことを行った》ことを知ることは、最高の満足である。
人間は、よくても、《至高の存在の媒体》以外で、何のために存在しているのか。」
「《【自らの最高の発想】に【忠実である】 ことは、父に仕えていることにならないのか。》
《 < そのような信念を心にとめない> ことは、
すべての学者の病気ではないのか。》
(※現代の医師や科学者に、病気でない人はいるのか。)」
「人間にはどんな名誉があると思うのか。」
弟子がそれぞれに答えた後、
しばらくして、師は言われた。
「下の者に敬意を表されても、
その者には名誉なことではない。
上の者に敬意を表されたら、
それはその者の他の行為への譴責である。
しかし、その者が自らに敬意を表すならば、
本当に大きな名誉である。
しかし、自らの目から見て完全である者を除いて、誰が自らに敬意を表すことができるのか。
このことができないので、
その者には、極論を言えば、名誉がない。
《ほとんど名誉を選ばず、中庸を選ぶことが、
人間が到達できる最高ではないのか。》」
「欠点のために、自分を悲観することは、
大変愚かなことである。
果物、ハーブ、米を食べることは、最も純粋な食事であるが、
愚か者は、肉を食べるよりはむしろ飢えてしまう。
儀式は役に立つが、
人間は、儀式のために戦争に行くよりは、儀式なしでさえ済ませた方がよい。」
「古代人にのみ頼るのは、大変愚かなことである。
古代人のみに敬意を表して、
古代人のみが天啓を受けたと信じることは、
愚の骨頂といえる理解である。」
「【創造主が、絶対存在であられ、
古代と同じくらい今、
力、愛、叡智を持っておられることを思い出すことは、叡智である。】」
「《できる限りの善き御業を見つけようとすること》は、賞賛に値することだ。
< しかし、独力でできないからといって、何も善を行わないこと > は、忌まわしいことだ。」
「できる範囲の善き御業を見つけて、行う者は、大きな満足感を味わう。
しかし、その者はそのことに勝ち誇ってはならない。
なぜなら、【任務を果たしただけのこと】だからだ。
これらの20冊の書物を記したことにおいて、
私に名誉はない。
(※たとえ1万8千冊以上の書物を自分は既にいないであろう未来の世の人間たちのためにもと叡智で20冊に要約しておいてくれたとしても。)」
次回に続く
『オアスペ全訳第2巻』P587,588
“ヤーウェイの御名において
「至高の存在の媒体」のしるしで
敬礼をお送りします!”