当時三十七,八歳の理容師(米倉満氏)
「銀座四丁目の交差点には、
松下電器さんの立派なネオン広告塔がございますが、
松下さんの頭はいってみればそれ以上に大切な会社の看板だと思います。
もう少しお気を使われてはいかがでしょうか」と。・・記事本文より
これには、一本やられたと、
幸之助はそれ以来、十日か、二週間に一度、
散髪にいくようになったそうです。
東京にいるときは、この店、
大阪にいるときは、米倉の支店に通ったという。
参考文献 (グーグル)