人には苦手な分野や、難しい乗り越えなければならないものがある。

 

 

 

それは、”詰めが甘い”である。

 

 

 

初心が希薄となり、途中で見せた勇敢さが無くなり、後半見せた粘り強さが切れ、いい加減な考えで、成功へのテープを切れないで終わる。なんとももったいない話である。

 

詰めの甘さの克服は

 

 

孤高の旅立ちである。

周りからの協力や意見、そして助けは必ず必要な項目である。

しかし、それだけではどうしても不十分である。

核となる、そして中心となるのはあくまでも自分。

自分との闘いが必ずある。

それは最後だけではなく、最初から、そして途中、後半へと、すべての戦いに自分との戦いがあった。

 

だが最後だけ奮い立たせるものがなかったというのは、言い訳であり、そしてそこまでたどり着いたという誉れでもある。

 

最後の詰めの甘いひとは、そこまで戦えたからこそ卑屈に見える。なぜなら間違いなく最後の詰めもしっかりとこなせる力があるからだ。

 

 

もう一つ成功への邪魔ものは。

めんどくさがり、そうルーズである。

ルーズとは物忘れや遅刻様々な意味合いがあるが、要するに面倒なのである。

後伸ばしにするからすべてが遅れる、そして大切なものに間に合わない。たくさんの事を一度に考えなければならず、物忘れが激しく思われる。今やることを今やる。それができるのが成功への道を楽に走れるわけである。

言い換えればめんどくさがり屋というのは、曲がりくねった山道を砂利埃にまみれて走るタイプだ。

今やることを今やれる人は、舗装道路、高速道路のような凹凸の全くない広い舗装道路をスポーツカーで走るようなもの。

面倒な人は苦労が多く結局、また面倒になってしまう。

 

さてそれの克服とは

 

予相手は大壮

 

相手は巨大であり剛強、それをこなす試練があるが、

 

大切なのはそれを楽しむ事が必要。

 

 

人生楽しんだ方が勝つ。苦労に向う事や不幸を乗り越えようとすると失敗する。

それをいかに楽しめるか、人生の成功にそれが不可欠だ。

 

どんな苦労も、些細な面倒ごとも楽しめ!