朝、仕事場に向かうときに
ときどき気分によって
別の道を通っていくときがあります。
 
その道中、住宅地のとある一角が
季節により、一面が植物に囲まれて
色鮮やかになっているのです。
最近はバラの壁です。
 
特に早朝、人気がほぼなく静かなときは
朝の太陽光の反射で幻想的にみえます。
 
ああきれいだなあ。
と、軽くほほえみながら
景色に会釈する最近です。

春から夏になっていくにつれて

日がのぼってから明るくなるまでが

早くなったと感じます。

 

この時期、たとえ起床予定時刻より

ずいぶん前に目が開いても、また

寝足りない感じであっても、

ああいいですねえと

清々しい気持ちでいられます。

 

まあ、結局はアラームまで

また目を閉じるんですけれど。

そんな最近です。

日常のなかで起こる些細なことから

かすかに不穏な気持ちをキャッチしたので

それを観察してみると、

大小さまざまなあらゆるトラブルは、

「自分」「私」「俺」という一言から

生まれているなあと痛感します。

 

そこで、「自分」「私」「俺」の

確たる証拠というか、

確かに実在するものなのかしらと

あらためて調べてみると、

やはりどこを探しても正直、なくて。

 

ただ、痛いとか、あたたかい、冷たいなどの

感覚に続いて生まれて来るもので、

その感覚に余計な付け足しをするから

ああだこうだと怒ったり、悲しんだり、

争ったりするんだなと。

 

昨夜眠る前と今朝の起き抜け早々で

雑念のごみ山っぷりに驚いたのもあり、

うまくまとまらないまま記す本日です。

 

 

 

不意に心配ごとが頭をもたげるとき、
あたかもそれが本当になるかのように
妄想を膨らませて、
そればかり考えてしまって
どんどん心配になってしまう場合。
 
このループに入ると
本当にしんどいものです。
 
そんな時に、自分がまさに今、
この世からおさらばするという局面を
頭に浮かべてみます。
 
間近に差し迫ったそうした場面や状況で、
その心配ごとはまだ大事かと思うかどうか。
 
ちゃんと真剣に思い浮かべてみると
ああ関係ないなあと
案外、元気になるものです。
 
適切な方法かはわかりませんが、
しんどい場面の時に、自分には
役立ってくれたので記しました。
そんな本日です。

「予想」に過ぎないのに

「確実だ」と決め込んでしまう。

 

自分は勿論ですが、

人はこんなふうにして

いろいろなことに思い悩むのだなと

しみじみする本日です。