皆さんこんにちは。
アダルトチャイルドのあーちゃんです。
今日は成人式の思い出したくない思い出について書きます。
厳密には、成人式ではなく、成人式用の写真撮影の思い出です。
私は大学生の時、住民票も独り暮らしをしていた横浜に移していたので、成人式は横浜で大学のサークルメンバーと一緒にスーツで参加しました。
成人式当日はお付き合いしていた同学年の彼と一緒にイタリアンレストランで仲良くお祝いしたのを思い出します。
イタリア育ちの彼も、そのときは両親ふくめ他の家族全員がシンガポールに住んでいて、日本には彼一人でしたので、私と二人で成人式をお祝いしたのでした。
さて、今日私が書きたいのはそのときの話ではありません。
私の父の生家にはいまだに私の成人したときの写真が飾られています。
その写真が私はどうしても嫌なんですね。見るたびに辛くなります。
成人したあとの春休みかなぁ?実家にどうしても帰ってこいと言われて帰省した折に、母から「お願いだからこれを着て写真を撮ってほしい」と頼まれて、(わかる人でないとわからないかもしれませんが、母のお願いというのは、普通のお願いレベルを遥かに越えるもので、絶対に聞いてあげないといけない強制力があったんですね。)
毎日お酒を飲むことで現実逃避していた私は二重顎、ブタみたいに太っていました。とてもじゃないけど写真なんてとりたくなかった。なのにどうしてもと頼み込まれて、仕方なく母の望む着せ替え人形役をやってあげました。
母の着せたかった着物、母が自分の着付けの能力を発揮したくて着させられました。
なのに、ヘアメイクなし。メイクも私の普段のメイク。
豚みたいな出で立ちで、しかも不機嫌な表情の私が、着物だけはピカピカで写っています。
そんな誰も幸せな気持ちにならない成人式の写真を、生家に飾っているのは、理由があります。
生家に来るお客さんに、「私はこんなに娘に尽くす親なんですよ、そして、こんな素敵な着物を持っていて、着付けまでできるんですよ。」とアピールするためなのです。
いまだに私はそう思っています。
今は父の生家は私の弟に引き継がれましたので、もしかしたら捨ててくれているかもしれませんが、もしかしたらまだ手付かずで残っているかもしれません。
親からの干渉がひどい育ちかたをしたアダルトチャイルドならではの苦い思い出だと思います。
今は母の気持ちも理解できますが、それでも私はいまだに喪失感を味わいます。私という体は母に提供したけれど、私の心は全く無視され、私という人格は全く無視されていたという思い出です。
毎年、成人式を輝く笑顔で迎えているたくさんの若者たちを見るたびに、「私とはって、のびのび育つことができて、本当によかったね」と、喜びと共に、「私は、もらえなかったなぁ」と、悲しみを味わいます。
感情を味わいきることが大事だと教わって、敢えてこういうイベントごとに自分の傷ついた体験をもう一度ちゃんと味わい尽くすことにしています。
味わうのはとてもエネルギーが要ることで大変なんですが、ちゃんと味あわないといつまでもその傷口が癒えないのだそうです。
アダルトチャイルドは、たくさんの喪失体験をしています。
だから、多分世の中のイベントというイベントすべてに喪失体験を持っていることでしょう。
今日は私は成人式の喪失体験を味わう一日にします。
そして、ちゃんと味わいきって、来年はもっと軽い気持ちでこの日を迎えられることを希望しています。
つたない文、私の喪失体験を読んでくださり、本当にありがとうございました。