今日は雑談! | 行動する大家さんの会スタッフ

今日は雑談!

おはようございます、スタッフの落合です。


AOAが発足して、3ヶ月弱。つまり、私が他のスタッフの方5人ともまだ知り合ってこれくらいの期間なんですね(最長のひとでも1年未満)。でも、今週のスカイプ会議も2時間以上だったように、リアルでもネットでも殆ど”賃貸市場はどう変らなければならないか!”といった、お仕事の話なんです。みんな、真面目でしょ!!!


ところが、先週”仮住まいの輪”の説明会の後、下條さんと喫茶店でお話したのは、半分以上仕事以外のお話、こっちも本当は楽しいンですよね。


その時お話した話題を一つご紹介。


今、震災というか”原発騒ぎ”で日本から外国人が退去し、観光客が激減しましたが、未だ多くの国は概ね”親日”だと思います。その中で”一番の親日国=トルコ”のお話。


まだ”オスマントルコ”の時代、明治政府を訪問したトルコ海軍・エルトゥールル号。その頃、東京で病がはやり、急遽帰国することになったエルトゥールル号に対し、明治政府は、”秋は台風のシーズンだから”と引きとめたが・・・・・


案の定、エルトゥールル号は紀伊半島の串本沖で遭難、乗員約650名のうち、600名弱が死亡、海に打ち上げられた約60名を串本村の人々が懸命の救命活動、女はその肌で船員を暖め、自分達の食べ物も船員達に与えたそうです。ここまでは、結構知られた話。


時代は1985年まで下り、イラン・イラク戦争勃発。イラクのフセイン大統領は、48時間後よりイラン領空の飛行機を全て撃墜すると宣言。各国は自国民救出の為、リミットまでに飛行機を飛ばしイランより救出。

我が日本国、当時自衛隊は海外への飛行が出来ず、JALのみが可能。でも、JALは拒絶した・・・・日本政府はテヘランに残された自国民215名救出に成す術もなく・・・・


と、ここで手を上げたのがトルコ政府。”我々が助けましょう”。早速トルコの民間航空機がテヘランに飛び、リミットまで数時間のところで、215名の日本人を無事救出。ここまでも、知っているヒトは知っている話(私も当時海外の仕事をしていたので、知っていました。)


更に時代は下り、2006年。時の首相は小泉純一郎。トルコは東西文化の合流点と言われていますが、その境である”ボスポラス海峡”には2本の橋が架かっています。その一つは日本の施工。さらに、今大成建設が地下鉄を建設中(今年トンネルは開通)。その関係か、小泉首相がこの年、トルコを訪問し、なんと、1985年に日本人を助けてくれた民間空港のパイロットの自宅を訪問し、お礼をしているのです。


時代は前後しますが、日本が日露戦争に勝利したこともトルコ人にとっては溜飲が下がる思いだったとのこと。


だから、トルコ人は日本人大好き。


なんでですかね、小泉首相がトルコでそんな粋なことやっていたなんて、当の日本人は誰も知らない・・・・・


下條さんによると、メキシコも大の親日国家だそうです。


メキシコ、遺跡マニアに私としては、いつか行きたい国ですね!