o77kmkyusfのブログ

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短いセンテンスで言い切る、そのリズム。
明快かつ心情的にも納得しやすい搏W開が生み出す疾走感。
抜群に面白い。
やっぱり売れた本っていうのは、それだけの魅力がありますな。
改めて食わず嫌いはよくないことを実感。
でも、だからこそ危険な本って気がする。
つまり、生徒には簡単に薦められない。
少なくとも薦める相手は充分に考慮する必要がある。
高度経済成長期は教育機能がうまく機能し、一定の努力をすればそれに見合った企業に就職することができた。
就職後も終身雇用や年功序列制などによって将来が保証されていたため、家族も安定し、人々は未来に希望を持つことができた。
ところが個人のリスクが増大し、大学に進学しても就職は保証されず、就職後もリストラや倒産の危険性が高まり、それに伴って安定的な家族を築くための条件も厳しくなっていった。
努力に応じた報酬が期待できない社会では、人々が未来に希望を持つことは難しくなる。
要約するとだいたいこんな感じかな。
1995年を1つの境界として捉え、オールドエコミーからニューエコミーへの社会構造の変化を基盤にした搏W開は上述した通り非常に明快で痛快。
またこの揩ヘ、高度経済成長期を黄金時代として捉える感覚にも、無気力な若者が増えたと言われる感覚にもよく合致するから、非常に抗いがたい魅力がある。
でもだからこそ、すんなりと受け入れてしまい過ぎる。
反フ余地がない。
だから場合によっては、それこそ日本の未来に希望を持てなくなってしまいかねない。
簡単に生徒に薦められないといった理由もそこらへんにあります。
僕自身も家族、特に若年層の未婚化や出産率の低下などが集中的にカられた第6章は、読んでいて暗澹たる思いになったし。
本当に、明日は我が身って感じでした涙。
第9章やあとがき等で、筆者は現実を見つめることの必要性を強調する。
もちろんそれはとても大事なことなんだろうけれど、いったい個人レベルでは何に希望を見出せばいいのか。
たとえば教育。
筆者は日本の教育のあり方をパイプラインシステムとして捉えます。
つまり、オールドエコミーの時代においては、工業高校に進学すれば、その成績に応じて、どこぞの工場などに就職することができた。
国立大学に進学すれば、上場企業に就職できた。
学校とは、そうしたパイプの役割を果たすものであり、どのパイプに入るかの時唐ナ行われる受験によって、人は自然に振り分けられ、分不相応の壮大な希望を持つことなく、いい意味で諦めながら、分相応の希望を持つことになったため、不満を抱くことが少なくて済んだ。
ところが、周知の通り今やこのパイプラインは機能不全に陥っています。
高卒者が正社員として採用される可能性は極めて低くそもそも求人がない、また大学に進学しても就職が約束されているわけでもない。
確かに筆者の言う通り。
反フしようもない。
けれども、僕は教育現場に生きているわけで、その中で生徒に希望を語らなければいけない。
生徒に希望を持たせ、次の舞台に送り出してやらねばならない。
もちろん、その一方で現実を教えていく必要もある。
さて、高校教員はこの時代にいったい何を語ることができるのか。
けっこう難題だぞ。
これは。
村直太しても、早く結婚せねばまずいな笑。