大衆演劇の話 | しろめだかにごうといちごうのにっき

大衆演劇の話

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今回に限り、漢字を使ってブログを書きます。

初めて大衆演劇を観たのは、30年以上前、横浜の、建て替え前の、三吉演芸場でした。劇団は紀伊國屋章太郎劇団でした。送り出しで役者さんに握手をしてもらい、感動して夜眠れなかったです。

次が、若葉劇団。女形で有名な若葉しげるさんが座長の頃ですね。チビ玉三兄弟も在籍していました。

他の関東の劇団では、見城劇団の見城たかし座長が印象に残っています。劇団美鳳の友也座長と兄の進吾さんが、若手役者で在籍していました。当時の木戸銭は1100円だったと思います。

本格的?に大衆演劇にはまったのは、劇団花車、里見要次郎さん、近江飛龍さん(お姉さんがまだ在籍していた頃)あたりですね。九州、関西の実力派劇団が、十条篠原演芸場、浅草木馬館を満席にしていました。劇団澤村を離れた澤村章太郎さんが劇団章劇を立ち上げ、関東に活動拠点を移したのはその少し後でしたね。

最近では、代替わりした劇団荒城の芝居が楽しみで、DVDを買い集めています。

大衆演劇のことは、話しだすときりがありません。随分と長い間観てきていますので、好きな劇団、役者さんはたくさんいます。お花をあげたことは一度もありませんが(笑)。

大衆演劇の魅力は、やはり身近な存在のように思えるところですかね。十条や浅草に1ヶ月間滞在しているから、何度でも観に行けます。お芝居は毎日、昼夜違うから、いつ行っても違うお芝居、舞踊を見ることが出来ます。一人で行っても、隣の方と芝居話で盛り上がり、お菓子の交換会が始まったりします。

最近では客席に若い世代の方も多いので、大衆演劇は廃れることなく継承されていくと信じています。

因みに、歌舞伎御用達の松竹衣裳さんから衣裳を借りて歌舞伎舞踊を披露する大衆演劇役者さんが複数います。発祥は同じです。念仏踊りが日本舞踊になり、物語の当てぶりが芝居になり、たまたま幕府に囲われた一座と、にわかの一座に別れただけで、ドサ回りと侮るなかれ、です。

そとのいきもの