Googleフォトから「思い出通知」が来ました。15年前の今日。15年とはまた大物ニヤニヤ
数年前にGoogleフォトにまとめて写真データを流し込んだもので、その頃からGoogleフォトを使ってたわけでは有りません(さすがにこのサービスは無かったか?)。
その15年前、山陽電鉄の代行輸送が印象的で、行ったのは覚えているのですけど記憶は色々飛んでいる。
JR山陽本線の高架切替で山電と上下入れ替えすることになり、JRは夜中の内に山電の高架の上に自らの桁を被せた。山電の方はJRをくぐる新ルートを、JRの地上ルートの使用が止まってから行うので、日中運行が停止した。てな感じだったと思います。

通知の画像。2005年モデルのシャープ製携帯。あレンズに指が掛かってる笑い泣き
手柄駅で、出発待ちの直通特急と、到着した直通特急(行き先表示は切り替わり済み)。
背後の本線上に一旦引き上げて折り返す形で、このタイミングなら直特の次発の普通車が待機してるはずです。
 
思い出通知をタップするとこんなん出てきました。姫路駅の代行バス発着場。高架の橋脚構造から見て、この日、運行を始めた山陽本線高架下でしょうか。
今回、15年前のガラケーなので画質がいつにも増してヒドイです。まあほぼ無修正で写っちゃった人々の顔が判別できないというメリット?ニヒヒ

山陽電鉄バス代行輸送2006/03/26

時系列で初めから。直通特急、手柄駅到着目前。
当時、写メール携帯とは言え、まだパシャパシャ撮る性分ではありませんでした。フィルム時代のケチケチぶりが染みついてる?
初期の頃はメモリがすぐ一杯になるのでセーブはしてましたけど。
それにしても当日写真はいきなりここから始まります。なんでだろ? どこから来たのだ自分はてなマーク行程が思い出せないゲッソリ
 
手柄駅のホームを通り過ぎた向こうに見えているのが直特の次の普通車ですね。3000系アルミ車でしょうか?
到着、下車後、冒頭写真を挟み姫路方の仮設踏切を渡ると代行バスが居ました。
ここですねぇ。

上りホームは短めなので仮設で延長しています。
左手の公園をつぶすようなことはしてなかったはず。この幅の道を1ブロック循環させる形でバスが入っていたのかと。
右手のガードレールなどは構内踏切仮設のため外したのでしょう。
仮設っちゃ、山陽姫路寄りにシーサスを挿入していたはずです(引き上げ線として使用)。
 
姫路到着。上で書いたように多分山陽本線高架下です。新幹線の方だと同じラーメン構造でも2層分になります(下り方で山陽本線と立体交差するし、開通時点でモノレール高架を跨いでいた)が、こちら一段です。
 
自動改札機が設置されているので驚きました。山陽姫路から一部移動したのですかね?
写真の右側が明るいのは、この辺りでしょうかはてなマークほんと忘れちゃった滝汗
 
この時点で北側は前日まで走っていた本線、この日も走ってる姫新線の線路が隣接している一方、新幹線高架との間は20m程度の隙間が有るのですよね。次項の写真も見て、山陽本線高架も潜ったあたりで右に入り、さらに右に曲がって高架下で乗降、新幹線高架との間で外に出て右折、飾磨街道に左折で戻るって回転だったのかと。多分ニヤニヤ
 
仮出札の風景。切符を買ってバスに乗る。
後述の写真で分かった位置関係から、右手が北(まだ本線地上線、営業中の姫新線線路はそのまま)背後がJR姫路駅駅南の入り口と、南北自由通路だった跨線橋の階段という位置関係だったかと。
 
新幹線高架の南、代行バスが走ってくる方へ様子を見に出る。
当時この付近は一方通行で、拡幅用地内をバスが走っていきます。
現在はこの部分、歩道になっています。4車線化も可能なぐらい確保されていましたけど、下の写真の通り新幹線高架が右折レーン込み3車線で1スパンなところで、それ以上に拡幅するのは無理そうなんですね。
 
ダイヤ通りなのかピタリすれ違っていました。
この狭い道、飾磨街道と言うようです。写真の部分は高架完成後に拡幅しましたけど、まだ一部一方通行が残っています。
広くは無いですが一直線に飾磨駅正面に出る道です。
 
拡幅用地からヨイショっと降りる所。
山陽本線踏切(この時点では姫新線が地上に残った状況)含めて前後が一方通行なので、新幹線の下はわざと狭くしてる感じですね。
その向こうの山陽本線の低い高架の手前で発着場に出入りしてたんじゃないか(その先、本線使用停止+姫新線使用中の踏切なので)と思うのですけど、撮ってないというね笑い泣き
 
新幹線高架の反対側から見る。

山陽電鉄山陽姫路駅

代行バス乗り場の自動改札機どこから来たんだはてなマークあっ、今日一杯山陽姫路に電車来ないのか!!と様子を見に行く。
ホーム端の当たりから新高架(JR線へ向けて高度を下げていく)に付け替わるので、思ったより工事をやっていました。
手柄駅の写真に看板が写っていた通り百貨店は営業中ですし、当時の南北自由通路(後述)の行きつく先がここでもあるので、改札正面は普通に通って見る事が出来ました。今は高架下から城側に出ると、城を望む展望デッキから神姫バス乗り場へ続くデッキからここへアプローチ出来ますね。
で。
ここから自動改札を移動したはずと目星をつけて見に行って、なぜ付いたままの写真しかないのだろう笑い泣き
目で見て納得した覚えは有るので、ここの一部を持って行ったと思うのですけどね。広告シールとか貼られてるから、倉庫から出した予備機じゃないだろうし。

JR姫路駅/姫新線播但線ホーム

姫新線から、正面改札前のホームをスルーして播但線や山陽本線へレールが繋がっていた1番の先に車止めが。
 
姫新線と播但線はこの時点で地上で。
播但線はかなり東側(今でいう東姫路…までは行かないか)で本線から分岐して地上に降りる仮線が設けられ、特急「はまかぜ」が定期で出入りしていました。
んじゃなんでレール切ったかというと、姫新線が元の停車位置だと工事に支障するので、仮設ホームに引っ込んだからだと記憶しています。
 
反対側を見る。
位置づけ的には、今の姫新線4番が機能を継いでいる形ですかね。京都駅旧1番(現0番)みたいなホームでもあります。
これと切り欠き1本が地上仮設になる前の姫新線でした。
この時点で1番も停車位置をずらしてまだ使っていたようです(次項の画像から)。
1番の隣に見えているホームの無い線が実は上り本線です、いやでしたね。ポイントが前後とも直線側で(駅前後カーブしてるので高速通過は無理ですが)貨物列車はホームの無い線を通過していて安心感が有りました。
今の高架姫路駅、山陽本線下りは通過線が有りますが、上りは5番ホームを貨物が通過していきます。現4番(播但線側ホーム無し)を通過線兼ねさせる気か?とも思いましたが、日中は割とホームが塞がるのでそういうことはしていません。
但し各線普通電車最終後に夜行「サンライズ」を待っていたら4番を貨物が通過した記憶はあります(進路のさび落としか?)。
 
高架ホームと新幹線への連絡通路に一時流用されている旧下りホーム。
向こうからも人が来るのは、地下改札と地下道をまだ塞いでなかったですかね。姫新線の事も有るし。
この後、複雑に通路を切り替えながら地上施設を撤去、播但線・姫新線用高架がこの辺りに建設されるはずですけど、過渡の状況は全部忘れちゃったなぁ笑い泣き
 

山陽電鉄と山陽本線の入れ替わり状況と姫新線

項目ごとに撮影順と入れ替えました。ので、上の高架ホームへ向かう最後の1枚は帰宅時じゃないのかと思うのですけど(なんと上差しが最後の1枚で、新ホームの画像が1枚も撮られていないという、当時の写真撮らなさぶり滝汗)。
15時頃に現地入りしてるのですけど、すっかり夕刻。
駅西側一つ目の踏切なので、右手は最初の項でバスが出入りしていた飾磨街道ですね。
上の項目の1番の西寄りと切り欠き(0番だったか、なら播但は何番?)に姫新線列車のヘッドライトが見えます。
画像の左下隅にパイプが映り込んでますけど。この時点で早々に姫新線の単線を除いて踏切の全長は短縮されていたのではないかと思います。あ、曲線速照の標識(この時点で2006年)の右手向こうにバスのテール側ですよね、が見えています。
なので前項で書いたような回転のさせ方であのあたりに代行バス発着場が有ったのではないかと推定しているのです。
これも写ってますけど、地上時代の、一番下り側の自由通路跨線橋で山陽電車の改札前に出ますし。
 
山陽電鉄の新高架の方へ向かいながら見かけた「住居案内図」もう残ってないかな。
切替前の、跨いでいた山陽電鉄の位置が分かります。「現在地」ってあたりの少し右が新ルートかな。
JRがカーブして逃げていくので、高度を下げて潜る余地が有るんですよね。山電の地下化とか色々議論されていて二転三転、上下入れ替えと決まった後はどうするのかと思ってましたけど。
で、この地図「飾磨港線」が残っているのに注目!!
1982年に、東京を大垣夜行で出発して九州に向かう途中で分岐していくのが車窓に見たのが自分にとって最後か。高砂線、片上鉄道などと同じく乗車機会は得られませんでした。
 
もう一つ、下り方に離れた踏切から。
一番左手の姫新線のレールが少し離れてバラストが白くて高さが下がっているのは、「下がってくる山陽電鉄の新ルート高架をさらに下に潜るために半地下化されていた」ためです。
 
ってことを思い出したけど、写真無いとか笑い泣き
 
新幹線の南側に出たら鎮座していたクレーン。夜中に旧山電の上にJR桁を被せたと思しき大型クレーンポーン
 
新幹線の南側、山陽電鉄新ルート(てか現ルート)。地上アプローチのところで市街が分断されるので歩道橋が用意されていました。
軌陸車が居ます。
 
同地点南側(飾磨方向)。左手から役目を終えた旧ルート。
飾磨港線が廃止になったあと、ずーっと空き地だったので付け替え用地が有ったわけですけど。計画自体は数十年かけてたそうなのでキープしていたのでしょうね。この辺から地下に入ることも考えたりはしたのか。
 
最後の1枚、これは…山電の旧高架すれすれにJRの桁が掛かってる光景ですね。
 
上で、JR山陽本線高架ホームの写真が1枚も無いわ笑い泣きと書きました。
銀塩の一眼レフ(や子供にかってやったオートボーイ)から写メール携帯(や子供に買ってやった初期コンパクトデジカメ)への移行で、フィルム気にせずパシャパシャ撮れるようになったのに、この頃はまだ過渡期で。
2015いや、2010以降ならマメに記録してたなニヤニヤ
後日車内から、この線路の上に線路が被ってるビックリマーク地点の写真をJR車内から撮った記憶が有るのですが見当たりません。
PCに吸い上げ損ねたか、ガラケーのカメラじゃブレブレだったので捨てたか。モノレールの遺構と山陽本線の高さが同じになった(モノレール廃線、JRを跨ぐスパンは早々に撤去されてましたが前後が有った)のと一緒に撮ったはずが。
出てきたら追加しますかね。無理ぽいけど。