チーママ。おばけなんて、ないんだ。



・scene 1



かつてオリンピックの舞台となったシャンテを右に望みながら山道を往くと、富裕層の令嬢が通うリセ。更にくねくねとアップダウンを往くと、それは現れる。心霊スポット、Kトンネル。
草木も眠る丑三つ時。入口から30m離れた砂利の空地に、タカギは車を停めた。


「おお、雰囲気あるじゃん。スガワラ、カメラカメラ」


助手席のスガワラは半身を捻って、後部座席のナップザックからデジタル一眼レフカメラを取り出そうとゴソゴソとやっている。タカギが運転、スガワラがカメラ。いつもの役割分担だ。

タカギとスガワラは、心霊スポットを紹介するウェブサイトを運営している。親切で丁寧なインデックスとマップ付きの詳細情報ページ、そして、おどろおどろしい文章と高解像度の画像で構成された管理人突撃レポートが評価され、人気サイトとして雑誌に紹介されたこともある。そのレポートにアフィリエイトを設置することで、サイトは月に数万円の収益を上げていた。
夏はトップシーズン。気温の上昇と共にアクセスも上昇する。稼ぎ時だ。タカギとスガワラは、突撃レポートの新作をアップする為、このトンネルやってきた。

スガワラは、ナップザックからデジタル一眼レフカメラを取り出すと、おどけた表情でタカギに敬礼し、独り、心霊スポットに向かって行った。これも、いつも通り。


「しかし、まあ」


タカギはステアリングを抱き抱えるように組んだ両腕に顎を乗せ、トンネルを眺める。

トンネルは、ただ単に山を刳り貫きましたといった体裁で、ヘッドライトで照らされた内部には剥き出しになった岩盤が見えている。延長100m程。横幅は、多分、大排気量の車同士だとすれ違うことはできないだろう。そして、その内部はカラフルなペンキで埋め尽くされていた。無数の落書き。勇気の誇示のつもりなのだろうか。心霊スポットは有名になってしまうと必ずと言って良いほど落書きに侵食されてしまう。そして、心霊スポットを人々に紹介して小銭を稼ぐ浅ましい存在、自分達がその侵食を更に加速させている。もし本当に幽霊なんてものがいるのなら、怨まれるのは、落書きをした者だろうか、それとも自分達だろうか。ともあれ。


「雰囲気あるじゃん」


スガワラは、入口付近でパシャパシャと数回スピードライトを炊いた後、トンネルの闇の中へ消えて行った。



・scene 2



Nikon D3X。スガワラのカメラだ。カメラグランプリで大賞を受賞したフラグシップ機D3の高画素バージョンで、最大の特徴は、D3の約2倍の画素数となる約2,450万画素のCMOSイメージセンサーを搭載していることであり、現時点で同社のデジタル一眼レフカメラ最多画素を誇っている。D3Xは、無職のスガワラには分不相応なハイエンドカメラだ。

スガワラは、この春、12年勤めた食品加工会社を退職した。業績悪化による臨時的な早期優遇退職の募集に応じてのものだった。スガワラは、その退職金のほとんどをD3X購入費に充てた。レンズやアクセサリーを併せると、100万円強。生まれて初めての大きな買い物で、家電量販店のレジで現金を支払うときには手がプルプルと震えた。

僕は、僕である証を、撮りたい。

退職には、大した理由など無い。それでも強いてあげるとすれば、それが理由だ。
毎日毎日、代わり映えの無いライン作業。休日は、一人暮らしの万年床で、ただ寝るだけ。恋愛にいたっては、気配すらない。アパートの窓から見える風景は、彩度を失っている。
少年時代は、違った。もっともっと、僕の眼に映る世界は輝いていた。夏空のヒコーキ雲に、夕焼けに染まる街並みに、雨上がり、笹の葉に残った水滴に。いちいち感動し、それを心に刻んでいた。そうだ。心に残る忘られぬ場面こそが、生きた証。

今からでも、遅くはない。もう一度。スガワラは、強く思っていた。



・scene 3



少女は、絵を描いていた。

真夜中に、こんな場所で、しかも、素っ裸で。最初は、本当に幽霊がでたのかと思った。スガワラに気づいた少女は、にっこりと微笑んだ。


「こんなところでどうしたの?歩いてきたの?パパとママは?」


スガワラは吃音症だ。周囲に人がいなければスムーズに話せるが、会話となるとどうしても緊張してしまい、どもってしまう。吃音のことがいつも頭から離れない。だから、どもりそうな言葉や場面をできるだけ避けたり、話すこと自体や人付き合いを避けている。だが、不思議とこのときだけは、スムーズに会話をすることができた。


「うん、あるいてきたの」

「パパとママは?」

「わかんない」


少女はそう言うと、また、トンネルの岩肌に塗り固められたコンクリートの壁と向き合い、絵を描き始める。色とりどりのクレヨンで描かれた花畑。そこに立つのは、三角形と円と直線で表現された女の子。そして、女の子の傍らには、三角形をふたつ向き合わせた浮遊物。


「これは蝶々?」

「うん、ちょうちょ」


しかし。なぜ、こんなところにひとりで?洋服は?スガワラは辺りを見廻したが、誰も居ない。そして、何も無い。


「なんでお絵かきしてるの?」

「んーとねえ、わすれちゃうから」

「え、忘れちゃう?」

「うん、ぜーんぶ」

「なにを忘れちゃうのかな?」

「んーと、ようせいさんと、あとまおう」

「どうして忘れちゃうんだろ?」

「おこられたから」


そう言って少女は、今にも泣き出してしまいそうな顔をした。妖精?魔王?怒られる?なにがなんだか、意味がわからない。だが。スガワラは、その場から少し下がって構図を決め、シャッターを切り、D3Xに少女と絵を収めた。


「ほら、こうすれば、忘れない。もう大丈夫。さあ、お家に帰ろう」


そう言って、ファインダーから視線を外し、少女に手を差し伸べようとしたスガワラだったが、危うく悲鳴を上げそうになった。

少女の背が、縮んでいる。

さっきまで胸の高さで描いていた蝶々に、もう手を伸ばさなければ届かないまでに、少女の背が、縮んでいる。


「あ、あああ・・・ああ」


それからは、あっという間だった。少女は、少女から幼女になり、赤ちゃんになり、赤ちゃんより小さななにかになり、そして、遂に。消えてしまった。

そこには、壁の絵だけが残った。



・scene 4



「だから童貞はダメなんだよ」


帰り道。D3Xにメモリーカードを入れ忘れてデータを全く残せていないと告白すると、タカギは沸騰したヤカンの如く頭から湯気でも出しそうな風情で、アパートに到着するまでスガワラに思い付く限りの罵詈雑言を浴びせ続けた。スガワラは、黙って、タカギの罵倒を受けた。

アパートに戻ると、スガワラはポケットの中のメモリーカードを、箪笥の上の、通帳や印鑑が保管してある、元は海苔の入っていたアルミ缶の一番奥に仕舞った。本当は、データは残されている。タカギには嘘をついた。

万年床に仰向けに寝転び、天井に貼られたアニメキャラクターのポスターを眺める。消えた少女。妖精。魔王。やっぱりなにがなんだか、さっぱり意味がわからない。彩度の失われた世界では、トンネルでの出来事はすべて、夢だったかのようにさえ思えてくる。メモリーカードを開けば、確認できる。そんなことはわかってる。だけど。

あの少女は、トンネルの壁を選んで、刻んだ。それでいいじゃない?

僕にとってのトンネルの壁は、多分、D3X。本当に?それでいい?

なんだか。無性に人恋しい。

本日は、花の金曜日。ひと眠りして、出会い系サイトでもやってみましょうか。



・END