七ケ宿街道

 

 白石市の奥、七ケ宿街道は、仙台と会津の秘密会談が行われたところである。

 

 七ケ宿町役場がある関宿。ここで会津藩降伏謝罪歎願を検討する三藩首脳(仙台藩・但木土佐、米沢藩・木滑要人、会津藩・梶尾平馬)の秘密会談がおこなわれた。

 

列藩同盟の盟主となった日光宮(孝明天皇の弟、輪王寺宮公現法親王)が、会津~米沢を経て白石に向われる際、関宿本陣で宿泊している。

 

参勤交代や旅人の要路として栄えた宿場町は、幕末時、宿泊者数が1万人を越えていたという。

街道をすすむと滑津宿へ。長州の吉田松陰は嘉永5年3月に滞在している。滑津宿には、江戸時代初期から天保年間まで本陣を勤めた桜井家、その後交替した安藤家がある。

 

 七ケ宿最西端の湯原宿は米沢領との境であり、上戸沢御番所とともに湯原御番所が設置されていた。当時は仙台藩役人の御境横目が常駐していた。宿内にはかつての本陣跡や湯原番所跡、薬医門造りの東光寺山門や曲折路が残り往時を偲ぶことができる。

 

大分前に、七ケ宿ダムを訪ねたことがありましたが、その時には、密談場所を訪ねることもなく、美味しい豚汁を頂き、紅葉をめでて帰ってきた。ああ、、のんきです。

 

 

輪王寺宮公現法親王

 

 彰義隊を率い、奥羽越列藩同盟の盟主となった輪王寺宮(北白川宮能久親王)が立ち寄り、そして宿泊した仙台市青葉区の仙岳院を訪ねた時の写真です。

 

戊辰戦争、新政府軍の優勢で展開する戦い。同盟軍は後退を余儀なくされる。同盟の盟主と仰がれたのが輪王寺宮(りんのうじのみや)親王。明治天皇の叔父に当たる人物です。親王は同盟の軍事総督を務めました。

 

親王は仙岳院で戦局の悪化によって同盟が崩壊するまで約3カ月にわたり生活したのが、ここ仙岳院です。実際に親王が暮らした建物は現存していません。訪ねて行って、住職さんにたずねて、本当にビックリしたのです。今は、下の写真のマンションが建っているということです。明治政府になってから、敗者の立場の切ない状況があったのでしょうか。

建物はないのですが、そこで生活していたことを示す貴重なゆかりの品々を見ることができるようです。

時間がなく、隣の東照宮を見学するために後にしたのでした。