ふらんすへ行きたしと思へども

ふらんすはあまりに遠し

せめては新しき背広をきて

きままなる旅にいでてみん。

汽車が山道をゆくとき

みづいろの窓によりかかりて

われひとりうれしきことをおもはむ

五月の朝のしののめ

うら若草のもえいづる心まかせに。

 

「旅 上」 萩原朔太郎

 

旅上ということばは、朔太郎の造語らしい。

「旅に上(のぼ)る」「旅に出る」というような意味に理解してよいようです。

 

前半は、「フランスに行きたいと思うが、フランスはあまりに遠い。」

たぶん、飛行機がなかったし、当時は船かな。

「せめて新しい背広を着て、きままな旅に出てみよう」

私も、一日に何度も思う、遠くに行きたい。

 

後半の「汽車の山道をゆくときには、水色の窓によりかかって、なにかうれしいことを考えよう」と、車中のたのしいひとときを空想し、「いまは、若草のもえる五月のさわやかな朝だ。その若草が自然にもえでるように、わたしも、心のままに旅に出よう」と結んでいる。

 

「五月の朝のしののめ うら若草のもえいづる心まかせに」

なんか、旅に出たくなる

いいな、しののめ(明け方のこと)

うら若草 つまり、若草

五月  フランスでは5月1日にスズランの花を贈る習慣があるとか

暫く、すずらんの花忘れてた

小さくて可憐な花

そんな日常がくることあるかな

 

 

 

海を回遊する魚のような気分の朝

これから来ることもあるだろうが、

今、「旅 上」を読んでみて

気分があがる、

近くても 遠くても 行きたいところがありますか?