戊辰戦争での白虎隊の自尽の地、飯盛山にて蘇生した飯沼貞吉の墓です。

 

飯沼貞吉の墓は、宮城県仙台市にある輪王寺にあります。

 

お寺本堂の裏山を上りきった頂上です。

 

 

 

 

 白虎隊士自刃者唯一の蘇生者、飯沼貞吉少年(後貞雄と改めた)は印出新蔵の妻ハツに助けられ、後通信省の技師となり仙台通信局工務部長に進み、通信事業に挺身と多大の貢献をなし昭和6年78才で仙台市においてなくなりました。

 

昭和32年9月戊辰戦役90年祭に財団法人前島会仙台支部の手によって、ここに墓碑と顕彰碑が建てられました。

 

貞雄は生き残った事を生涯悔い会津若松には近寄らなかったと言われ、遺言により白虎隊の墓近くに昭和32年(1957)に遺骨の一部が分骨され埋葬されました(元々子息に歯と髪が託され、それを埋葬したそうです)。

 

当初は白虎隊の墓に隣接する場所が候補地でしたが、当時の会津の人達には疑問視する人もいて少し離れた当地に埋葬されました。

 

貞雄自身も強く望んだという訳ではないようです)。実際の本墓は宮城県仙台市にある輪王寺にあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 貞吉の出陣に際して、母ふみ(雅号玉章)が詠んだ歌が色紙にのこされていたそうです。

 その歌が刻まれた碑です。

 

 あずさゆみ むかふ矢先はしげくとも ひきなかへしそ 武士の道

 

  貞吉の出陣するときに よみてつかはしける 玉章

 

 

 

 

 

 

 

 

 貞吉の生涯を紹介したものが、お墓前にありました。

 

 生きて、世に尽くしたのですから、これも武士の道かな

 

 

 

 

 

 輪王寺には、5年ほど前にいきました。

 

 かなり立派なお寺です。

 

 仙台に行かれる機会がある時に、どうぞ訪ねてください。