高照神社 

 

高照神社は、四代藩主信政を祀る廟所に始まる。信政は宝永7年(1710年)弘前で死去し、遺命により五代藩主信寿が吉川神道に基づいて高岡の地に神葬した。明治に至って同十年に初代藩主為信を合祀している。

社殿に就いては、五代藩主信寿が正徳元年に廟所、同2年に社殿群を建てて社頭景観を整えた。次いで七代藩主信寧が宝暦5年(1755年)に拝殿を造り替え、九代藩主寧親が文化7年(1810年)に随神門、同12年(1815年)に廟所門を建てた。社殿は弘前城の西方、岩木山麓に東西軸上に並んで配置されている。東から鳥居、随神門、拝殿及び幣殿、東軒廊、中門、西軒廊、本殿が建ち並ぶ構成で、津軽信政公墓のある廟所は本殿の約200メートル西方にある。

 

本殿は、桁行三間梁間三間の身舎に、一段低く一間の唐破風造の向拝がつく。四周に縁を廻し、屋根はこけら葺で千木堅魚木を置く。内部は一室につくり、外廻りは丹塗、内部は朱漆塗。中央基壇上に方一間の宮殿を置く。

 

拝殿と幣殿は一体となった建築で、桁行七間梁間三間の拝殿の背後に正面三間側面二間の幣殿が接続し、したがって平面は背面が突出した凸型となる。拝殿は総円柱、入母屋造で正面千鳥破風付、三間の向拝に軒唐破風を載せ、極彩色の透彫の彫物で飾っている。内部は梁間方向の前一間通に円柱を立て、前方を外陣、後方を内陣に区切る。幣殿は角柱。背面中央間が両開板扉で、東軒廊に続く。拝殿、幣殿ともに外廻りは丹塗で、内部はともに弁柄

 

塗である。

 

中門は一間一戸の平唐門で柱間装置は両開桟唐戸。本殿から中門に至る西軒廊、中門から幣殿に至る東軒廊はともに桁行四間梁間一間、天井はなく化粧屋根裏で石敷きの床に連子窓を連ねる。

 

拝殿前方の随神門は三間一戸の八脚門で、正面と両側面に縦連子を入れ、丹塗。高塀が左右に延びる。

 

本殿後方に位置する廟所は、石造の津軽信政公墓二基が前後に並び、その前面の廟所拝殿、正面の廟所門で構成され、周囲に石垣と土塁を築き、瑞垣と木柵を廻している。廟所門は素木で、背面に立つ控柱と貫で繋ぎ、両開板戸を付ける。廟所拝殿は内部は一室で、床は板敷、天井は棹縁天井。外廻りは丹塗で、内部は床から天井まで朱漆塗とする。

 

高照神社は、吉川神道に基づいた独特な社殿構成であり、全国的にほとんど類例がなく、近世神社建築の展開の一端を示すものとして価値が高い。

 

 

  弘前市 高照神社ホームページより

 

 

 アクセスは、弘前駅からバスで40分

  

 弘前といえば、桜ですが、高照神社も是非行ってみたいところですね。