お釈迦様の時代から、21世紀の世でも、こういう苦しみは避けられない苦しみとか。

 

 人生の中で、この苦しみに煩わされず減らしたいのが人の願い

 

 では、これを軽くするような人との接し方があるのか

 それが、 他因自果の思考を止めることです。

 

 「あいつのせいで苦しんでいるという思いにとらわれないこと」

 

 これにふりまわされないことが大事

 これを他因自果の考えを止めるといいます。

 

 他因自果は、仏教で愚痴の心(三毒の煩悩)といいます。

 私たちの悩ませる煩悩108つの中でも大きい煩悩

 その思いのせいで自分がくるしんでいるだけなのです。

 

 この心がなくなれば、ヤな人と接しても心が軽くなる

 

 「私を苦しませるのは、因縁のせいである」

 

 因縁とは、仏教では 因と縁が結びついたときに結果が引きおこることを言います。

 結果とは、私の苦しみ、それは、因縁からきている。

 縁はAさん、因は私で、因縁により私の苦しみが果が生まれた

 

 Aさんは、私の何が気に入らないのか、私のミスなのか

 私の言動が何かが、Aさんは、私の顔が気に入らないのか?

 

 そういう因縁、ちょうど、桜が春という因縁によって、桜の花が咲く

 桜には花を咲かす、精力を秘めている、春の因縁が加わると桜の花がさく。

 

 私は因縁か?

 

 紅葉は秋という因縁によって赤くなる

 

 もう、これは因縁の問題なのです。

 誰が悪いという問題ではない、因縁によってそういう結果が起きる。

 私の中に力があるようですね。

 

 解決方法ですが、

 

 これは、因を変えるか、縁を変えるか、どちらかによって変わるようです。

 解決方法は、パワースポット巡りや寺社巡りでもない。

 

 私の何かの行いが、Aさんの縁にふれて、Aさんがイライラする

 Aさんが腹立てないような私の行為を変える、そうすると私の苦しみが減る

 または、縁をなくしてしまう。

 

 縁から離れるか、自分の行いを変える

 離れる、縁を変える、、部署を変えてもらう。上司に相談する

      いじめっ子・・学校変える、クラスを変える

      会社辞める、チャンスを求めて、

      夫だったら、別居する、離婚する

      子供に暴力をふるう、当然別れる

自己を変える

      自らの行いを変える

      縁から離れることができないと覚悟したなら、行いを変える

      

 

1.有無同然

  立場役職がないものもあるものも苦しんでいる

  その人の立場も理解できる、縁となっているその人も苦しんでいる

  心の視点を変えてみる

 

2.罪悪

 なんで、おっとなり妻がそんなことを言うのか

 欲とか怒りねたみが、辛辣な言葉になったり、奥さんへの暴言になったりする。

 相手にこれがあり、自分に向かけられる

 自分も同じものを持っていることに気づく。

 その人の立場に立ってみる

 その人の言動を通じて、自己を知る。

 

 仏教は、世の中を通して自己をしる教えです。

 

3.無常

 それは、いつまでも続きません。

 変わるんです。

 1週間で変わっています。

 だから、絶望しなくていい。

 5年前に苦しんでいたこと、今も苦しんでいるでしょうか?

 いつもでも、一緒ではない。

 思いつめなくていいんです。

 しばらくの間の縁です。

 暫くの間の学びなんです。

 

人間にとって怨憎会苦、この苦しみから逃れることはできない。

この苦しみをじゃまされない安心満足があると教えるのが仏教の教えである。

 

一番大事なのは、おもいつめないこと

離れる

自分の行いを変える

この2つが解決方法です。

 

 

 ~浄土真宗の教えより~

 

 今日の学びでした。

 

 私(因)とトラ君(縁) → 私結果(やすらぎ、癒し、ほっこり)

                トラ君の結果(カリカリと美味しい水の確保、我がまま好き放題か?)

 この図式もありでしょう。