西行500回忌に当たる元禄二年(1689)3月27日、弟子の曽良を伴い

 

松尾芭蕉は、ここ千住から奥の細道の旅へと出立しました。

 

この像は、矢立初めの句を詠む芭蕉の姿を表現したものだそうです。 

 

西行や能因らの歌枕や名所旧跡を辿る目的でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 芭蕉の足元

 

 素足ではなく、足袋のようなものを履いての草履のようです。

 

 芭蕉は、草履にこだわったとか

 

 歩くのですから、草履にこだわりがあって、とうぜんですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   平安時代の終わり頃、西行が東山道を通り、天養元年(1144)に奥羽地方に旅行しています。

 

  文治2年(1186)には、東大寺再建の勧進を奥州藤原氏に行うために2度目の奥州下りを行っています。

 

このとき、鎌倉に源頼朝に面会し、歌道や武道の話しをしたことが『吾妻鏡』に記されています。