chiharuのブログ

chiharuのブログ

ブログの説明を入力します。

Amebaでブログを始めよう!
今年の3月まで5年間介護福祉士として障害者支援施設で働いていました。
障害者施設で働きたいと高校の時から思っていて、大学も福祉系大学に行きました。
実際に働いてみて、正直に言えば理想と現実の間でもがいた5年間。


5年目を迎えて看護師を目指そうと思うきっかけになった出来事がありました。


入所して28年の46歳男性、ダウン症。
いつも愛嬌たっぷりで、口説いてきますw
昔からよく施設から脱走して、近くのコンビニや寿司屋、カラオケなどに行っていたようでw
そんな彼が2年前から顔の浮腫みが激しくなり、健康診断の結果から腎臓機能が低下しているとのことだった。
私たちは医療に関する知識はないわけではないが浅い。
生活支援を主としていること、施設での医療行為は禁止されていること、看護師がいることで、詳しいことははっきりわからないことが多い。
この男性のときも、医師や看護師からの指示を守ることで救われると思っていた。


腎臓機能低下の話を受けてから半年。
みるみる内に体力の低下が見られ、もともと嚥下が上手くできなかった彼は食事が難しくなった。
歩いていた彼が転倒を繰り返し、座っていることが精一杯になった。
次第に寝たきりになり、口説きまわっていた口から言葉もなくなった。



医師からの余命1ヶ月の宣告。
しばらく入院していたが、施せる術がもうないとのこと。
人工透析ができればよかったが、人工透析のための手術に耐える体力もなく、人工透析の目的を本人が理解できない場合は苦痛でしかないとのことだった。
本人の意思を尊重し、施設での看取りとなった。


わたしを含め働いている職員の誰もが思ったことは
『もっと早く気づいてあげられていれば…もっと…』



彼が施設に戻ってきてもあたしたちは側にいてあげることしかできない。
彼に残された時間が寂しいものにならないよう、本人の希望に合わせる。
ただそれだけしかできない。
寒い‼︎と震え泣いていても体をさすり、抱きしめてあげることしかできない。
これが介護福祉士としてできた看取りだった。

苦痛から救うことができない虚しさと、歯痒さと戦う日々が続いた。



余命宣告から15日後の夜に亡くなった。




彼と過ごした時間から沢山のことを学ばせてもらった。
沢山の感情と戦い、あたしができることはまだあるんじゃないかと思いだした。
それが看護師になることだと。


書いているだけじゃ伝えきれない気持ちが沢山あるから、これじゃ伝わらないかもしれないが、看護師にならなきゃいけない!って思っています。
亡くなった彼からの学びを無駄にしないためにも。