あれは、歳の瀬だったと思う。

 

妻がコロナに感染した。

手際よく自分で、あちこち連絡していた。

 

東京都の支援物資が届いたとき、あれは、本当にありがたかったのを覚えてる。

 

寒がっていたので、電気毛布を買いに行ったのは、ファインプレーだったと思う。

夜7時半くらいだったと思う。

電気屋に行くか、ホームセンターに行くかで迷って、ホームセンターに行った。

そこで一番良い電気毛布を買った。

 

悪寒に耐えるというのは、本当にキツイ。

それを共感できる経験が先に自分にあって本当に良かった。

 

色んなことに鈍感で間違えるけど、経験してることはさすがにわかる。

 

妻はあちこちに連絡して、入院の受け入れ先を見つけた。

自宅から遠くないところで、受け入れてくれる病院があったのだ。

ぼくらが住んだことのある街の病院だった。

 

あのとき、なにも考えるゆとりがぼくにはなかった。

でも、いまなら、わかる。

最悪の事態を覚悟して、妻は勇気を振り絞って病院に行ったんだって。

 

入院したのは、隔離病棟だった。

5類になった今と違って、当時はそれが当たり前だった。

 

妻は病院で年越しをすることになった。

入院に必要なもの、妻からリクエストされたものを何度か届けに行った。

 

お世話になる病院の方にも何か差し入れたくて捜したんだけど、年の瀬で

お店がしまっていた。

近所のスーパーで、”ままどおる”が売られていたのを見つけることができ

たのがうれしかったことを今でもおぼえてる。

 

やることを考えることは出来たんだけど、肝心の妻の気持ちを考えるとい

うことができていなかった。

 

最悪の事態も考えて、ぼくの負担も考えて入院することを決断した。

 

ぼくが妻から教わったのは、たくさんある。

もっとも大きなものは、愛情。

このシンプルな言葉。

離ればなれになるまで、そこに気づかなかった。

 

本当に愚かなものだと思う。

 

最近、妻が口を聞いてくれなくなって、つらいという記事を読んだ。

でも、たぶん、つらいのは妻のほうも一緒。

どうか挑戦してみてほしい。

関係を修復する方法を考えることを。

 

気づいてほしいから、一緒に生活している。

気づいてほしいから、沈黙を保っている。

 

そういう理由かもしれない。

もっとも、つらいとき、そんなことを考える余裕はない。

 

ぼくの妻は、つらいときにぼくのことを考えてくれた。

ずいぶん、遅くなったけど、気づけて良かった、と思う。

 

気づけたから、感謝の気持ちがわいてくる。

ありがとう。

 

ぼくは、その言葉をずっとおくり続ける。

再会する日まで。

 

これは妻に送るラブレター。