娘は、やっぱり近くに居たほうが(自分の)都合はイイ。
でも・・
娘の人生の責任は、ぼくはとれないので
やっぱり、娘の人生。
そしてじぶんの人生と。
冷たい意味ではなくて、前向きな意味でねっ
ただ、老いてゆくと
ぜったいに、かならずダレかの世話に多少はならないといけない
それは他人かもしれないし
家族かもしれない
お金で、すますかもしれないし、言葉と心で・・かもしれない。
息子が将来結婚するであろうと女性にと
血がつながる娘とでは
おなじ感謝であっても、なにかを頼む申し訳なさ等々は
数段低く、お願いしやすいかもしれない。
そんなことを鑑みると
すでに僕の場合は北海道にいる・・娘・・
可能性や確率が、かなり現実的にかんじる。
むすこにお願いするか
むすこの結婚相手にお願いするか
ネンネンコロリは、いやで
ピンピンコロリで、逝きたい。
死に方が選べないのも現実だもんね
かなしいね
っとゆーことで、昨日は看護しの M 子女さんから
さまざまな、いっけんいっけんの家族の形を教わった・・
ぼくの心のなかに最善をきすために
かんがえたコトがひとつ浮かぶ。
息子名義の通帳を別につくり、そこに今のうちから
ぼくがジジイになり、なにも分からなくなった時に
使ってもらう、ひつような金を入れていこうかな?っと。
ぢゃないと、勝手に引き出せないもんね
いろいろ面倒だもん。
そんなところまで含め、生き辛い
そして、死にづらい世の中でありますね