あーーー久しぶりに涙をポロポロ流しながら仕事しました。







僕をご存知のかた


笑いで


笑い涙でポロポロっと思われたでせう?


いえいえ違うのです


ガチガチ。(むふふ)


にひひ




N 子女のヘアカットをさせていただきながら


毎回いろんな話にまで、内容及ぶのですが


きょうは


「甘えなかった子が自立していくのでない。甘えた子のほうが、実は自立が早いんだ」


そんなトピックを伺って・・


心が洗われるような気がして


いま、ムスコ少年の大切な岐路を通して


当時の自分のことを言われているような


そして今の僕が


ムスコ少年に対する関わりかたを


いわれているような感じがして


ついつい涙がポロポロ頬をつたい


恥ずかしげもなく業務をしてしまいました(N 子女のほうが困ったかも?謝&笑)


美容院




いま、げんざい


両親がほぼ毎朝 O2 に顔を出してくれております(早朝です)


父が造る畑から新鮮な野菜を


たくさん届けにきてくれます


健康で元気


健全で勇気です


こどもとして両親の存在には感謝がありますし


ありがたく心の真ん中における


愛を感じます


彼らも、やがて80になろうとしておりますが


まだまだ元気に仕事をもって世の中に貢献しておりまして


彼らの休み明けにも必ず


どこそこで購入した


「タマゴ」「イモ天」「クリ饅頭」「食パン」など


いろいろ持ってきてくれます


きっとドライブしながら、僕が喜ぶ姿を思い出しながら


そのこと自体を愉しみに、買ってきてくれているんでしょう。。。






さいきん母がよく、僕に伝えます


「あなたには、小学生のときから新聞配達させてゴメンねえ」っと。


ぼくは小学4年生から、高校3年生まで新聞配達しました あせる


またそれ以外のバイトも数多くこなし


当時けっこ~稼いでおりました(多いときは月額20万円超えでした。まぢよ)


その


新聞配達に関しては


僕のなかで、きちんと理解し解釈し


すべてを飲み込めて納得してやっていたことですから


両親に対しておもったことなど、ほんとうに一片もなく、一度もなく


でも母は当時、ぼくにたいして


ふびんに感じていたんだなあっと


そんな心がわかると、逆に僕のほうが申し訳なく感じてしまいます。



浪人はしたけど、立派に国立有名大へ入学し


教諭への道へと進んだ2人の兄と姉には


いまでも尊敬の念がありますし


自慢のきょうだいなんですよっ


ぎゃくにいえば


僕は2人とくらべれば、とうぜん努力もしなかったわけで


当時の家計を考えれば、じぶんのお小遣いぐらい


じぶんで工面するのが当たり前。


そう・・


あたりまえのことを、自由にしていただけのこと。


でもね


じぶんの心の内を


心のなかの感情を、しっかり言葉にする


形にできる母の、ムスコに育ててもらえた僕は


ありがとうと・・


感謝でしかありません。







そんなこんなで


今ぼくは


ムスコと向き合って18年間。


いよいよ集大成だなあ






先のことは


色々とまた、あるだろうけども


そのとき


またそれぞれと


愉しみとして感じ取って


生きてゆくのだろうと。



O2 おおつかけんじ