終業後
ぼくは
食事のあとに
思考をめぐらすために
非日常を自らつむぐために
真っ暗闇なバスルームで入浴した。
今朝はムスコ少年のお弁当にいれるために
早朝から造ったオカズを
つまみ食いした僕。
おなじモノをたべると同化するという
おなじ釜の飯を食った仲というのは
共通意識を共有できると信じているし
だからこそ同じスペースで飲み食いし
寝食をともにする考えは、そこから起因するとぼくは感じている。
家族とは、きっとそういうものだ。
O2 のお客様で
しょっちゅう霊の存在を感じ(見)対処をされていらっしゃる H 子女なんか
その瞬間かならず「水」を飲みます。っとおっしゃる
たしか
ジブリ映画「千と千尋」でも
その空間のモノを食すことで、身体が透明になるのを防いでもいたっけ
昨夜のことに話をもどせば
「息をのむ」事態だった
せめて
「空を掴む」じょうたいは、避けたいとおもう。
おなじ
血だからこそ
ゆるせるものがある。
見返りを必要としない博愛こそが
一番美しいのかもね
おおつかけんじ