毎年、この季節(5月6月)

僕は色んな本と向き合っています


実は

本選びは、その年の元旦から始めるようにしています


いままでも努力の結果、お陰さまながら毎年のように7年間


○ 学級クラス代表

○ 学年代表

○ 校内選考学校代表

○ 熊本県山鹿市代表

○ 鹿本郡市代表(統合合併にて山鹿市と鹿本郡との関係は、なくなり)までは

経験させていただきまして

* 県大会選抜に、もうわずか..一議席足りない煮え湯を

何度と無く飲まされてきた経験がよみがえります。


磐石では無い

いつも悩み迷う浮き草のように

二人三脚でここまできました


いよいよ今年が最後。

選考は二の次。

人に聞かせたい本を選びに選び、今年は挑みます


がんばれ!

がんばる。




















『奄美(あまみ)の画家と少女』








ベンチにこしかけた少女が、じっと手にした写真を見ている。
またたきもしないで、食い入るように見ている。
そのよこをひとりの画家がとおりかかった。
それにも気づかず、少女は写真から目をはなさない。


「なにを、見ているの?」


画家は少女に声をかけた。


「おかあさんの顔」


少女はつづやくような小声でいった。
あまりにさびしそうなので、画家は少女の横にこしかけた。
しばらくふたりは、だまってすわっていた。
少女のからだから、消毒薬のにおいがした。
ふたりは病院の庭のベンチにいた。


この病院は奄美という島にあった。
ハンセン病のひとが入院する病院だ。
かってこの病気は、伝染すると思われていた。
この病気になると家族や友だちから引きはなされた。
遠い島の病院にむりやり入院させられた。
この少女もみんなからおそれられ、ここに泣く泣く送られてきた。


「さびしいときには、この写真を見なさい。遠くはなれていても、おかあさんはいつもおもえのことを思っているよ」


入院した日、おかあさんはそういって少女に一枚の写真をわたした。
笑っているおかあさんの顔がうつっている。
少女はむりをして笑顔をつくり
心配そうに帰っていくおかあさんに手をふった。
夕焼が、病院の裏山の空を赤くそめていた。








少女はポケットにその写真をいれ、いつも身からはなさなかった。
一年がすぎ、二年がすぎた。
さびしくなるたびに少女は、写真をとりだして話しかけた。
笑っているおかあさんの顔に、そっと手をふれて話しかけた。


「ほら。もうおかあさんの顔が、よくわからなくなっちゃった」


少女は画家に写真を見せた。
たしかに古くなって黄ばみ、顔のあたりは手あかでよごれている。


「ぼくにこの写真を、かしてくれない?」


画家はいいことを思いついたように笑った。


「どうして?」


ふしぎそうに少女がたずねた。


「この写真を見ながら、おかあさんの顔をかいてあげるよ」


やさしい目をして画家は少女を見た。
少女の顔がぱっとかがやいた。


「でも……」


すぐに少女はうつむいた。


「なにか、こまるの?」


画家が少女の顔をのぞきこんだ。


「わたし、お金がないの。お礼ができない……」


はずかしそうに少女はいった。
この画家はときどき病院にきて、病人やその家族の顔をかいていた。
みんなわずかだが、お礼にお金をはらっていた。
それを少女は知っていた。


「お礼は、ほしいな」


画家は明るい声でいった。
少女は悲しそうにちらっと画家を見た。
わずかなお金さえ、もっていなかったからだ。


「君が早く元気になること。それがいちばんのお礼だよ」


画家はうなだれている少女の髪の毛を、やさしくなでた。
少女は飛びのくように、立ちあがった。


「わたしにさわると、病気がうつるわ」


少女はさけんだ。


「だいじょうぶ。もしそうなら、とっくのむかしに、ぼくも病気になってるよ」


画家も立ちあがった。
そして、ひざをおってかがみこんだ。
目の高さが少女と同じになった。


「きっと、なおるよ」


少女の手をにぎって画家はいった。
画家の手は大きくてあたたかかった。
少女は病気になってはじめて、もしかしてなおるかもしれないと思った。

それから毎日、少女は病院の玄関に立って、画家がくるのを待ちつづけた。
一週間がすぎた。
いちども画家はあらわれなかった。
少女はうらぎられたような気がした。
たいせつな写真をかしてしまった自分をせめた。
高い熱がでて、少女はベッドで眠りつづけた。











「ほら、約束どおりできたよ」


耳もとでささやく声がした。
少女はぼんやり目をあけた。
画家が画用紙にかいた絵を、少女の目の前にかざした。


「こんなきれいなおかあさん、見たことがない」


少女は息をのんで、ベッドの横に立っている画家にいった。


「ありがとう」


少女はお礼をいいながら、絵をじっと見つめた。
きれいな和服をきたおかあさんが笑っている。
少女はその絵を受けとると、ベッドからぬけだした。


「見て、見て。これ、わたしのおかあさん」


その部屋にいるみんなに、少女は絵を見せてまわった。


「まだ、寝てなきゃダメでしょ」


看護婦さんが笑いながら、少女のうでをつかんだ。


「そうだよ。早く元気になる約束だろ」


ベッドに横になった少女に、画家がほほえんだ。
彼は帰りかけたが、すぐ少女ところにもどってきた。


「これ、たいせつな写真」


画家は少女におかあさんの写真を返した。
少女の目にうれし涙があふれた。









田中一村(いっそん)というのがこの画家の名前だ。
奄美でひたすら自分のかきたい絵をかきつづけた。
絵をかくために、生まれてきたと自分を信じた。
生きていりあいだ、彼の絵は世の中に認められなかった。
それでも、絶望しなかった。
貧しさにもまけなかった。
そのはげしい生き方は
『アダンの画帖』 (南日本新聞社編・中野惇夫著・小学館) に
くわしく書かれている。


一村が亡くなったあと、ぼくはその絵をはじめて見た。
南の島のたくましい命(いのち)があふれている。
自分の命をけずって、絵の具にとかしたような絵だ。


南極のペンギン より/奄美の画家と少女/高倉健/著


















僕の中で

スーパー映画スターである健さんの感動本ですキラキラ

超あたっかいです。 ・°・(ノД`)・°・

皆さまも、どうぞ心のエッセンスにドキドキ



田中一村


アダンの木










■6月 19日(金) 


ベルトの日
桜桃忌
トークの日


1623年 パスカル(思想家)
1698年 青木昆陽(儒学者)
1736年 ワット(蒸気機関車発明)
1903年 ルー・ゲーリック(野球)
1909年 太宰治(小説家)
1936年 ジーナ・ローランズ(女優)
1940年 ワフー・マクダニエル(プロレス)
1940年 張本勲(野球)
1940年 田中直紀(政治家)
1945年 アウン・サン・スー・チー(政治家)
1945年 アウンサンスーチー(ミャンマー民主化運動)
1946年 北山修(精神科医・随筆家・元歌手)
1950年 レイ・ラブロック(俳優)
1952年 エル・カネック(プロレス)
1952年 小俣雅子(アナウンサー)
1954年 キャスリーン・ターナー(米・女優)
1959年 木村和久(コラムニスト)
1962年 山下規介(俳優)
1964年 温水洋一(俳優)
1971年 kaba(dos・ダンス)
1973年 中澤裕子(元モーニング娘。・歌手)
1980年 宮里優作(ゴルフ)
1985年 宮里藍(ゴルフ)

歴史・出来事
1933年 丹那トンネル貫通
1944年 マリアナ沖海戦
1985年 投資ジャーナル事件
0645年 我が国初の年号、大化制定

誕生花・誕生石
誕生花は テッセン、花言葉は“甘い束縛”、
誕生石は クリスタル(crystal)、宝石言葉は“純粋”です。