先週、イベントが無事終了し次回のパーティーのポスターとチケットも作れて「今日は早く帰ってたまったDVDでも見よう」と思ってスタジオを出た。

すると近所の元町映画館で「バスキアのすべて」を上映していた。

いつも時間が合わなくて見逃していたので迷わず飛び込んだ。

バスキアは僕が1886年にアメリカへ行った時、すごく流行っていて強烈なメッセージ性のある絵で社会に訴えかけていた。作品は「ブラックピカソ」と呼ばれポスターや雑誌で紹介されていた。
僕は「カンデンスキー」が好なのでバスキアの作品の中では初期のリズミカルな色使いが好きだ。



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ジャン=ミシェル・バスキア(Jean-Michel Basquiat、1960年12月22日 - 1988年8月12日)はニューヨーク市ブルックリンで生まれたアメリカの画家。グラフィティ・アートをモチーフにした作品で知られるが、グラフィティとの関係はあまりない。苗字の発音はフランス語の名前なので本来は語尾の t は発音されないが、地元のニューヨークではそのまま英語発音でバスキアットと呼ばれることがある。ハイチ系アメリカ人・・・wiki



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17歳(1977年)の頃から地下鉄、スラム街地区の壁などにスプレーペインティングを始める。

活動を続けるうちに高校を中退したバスキアは、Tシャツやポストカードを売りながら生計を立てていた。

一時結成していたノイズバンド「GRAY」の名は交通事故のさい母親が病室に持ち込んだ「GREYの解剖学」が由来している。

1983年にはアンディ・ウォーホールと知り合い、作品を共同制作するようにもなる。

1987年のウォーホールの死まで2人の互いに刺激しあう関係は続いたが、徐々に薬物依存症に陥った。

1988年、薬物依存により27歳で死去。


映画ではドキュメンタリーでバスキアの素顔と人間関係がそのまま描かれ天才の孤独な死が切実だった。


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公式サイトはこちら!
http://basquiat-all.jp




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次回、上映予定映画館です!





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参考までに「バスキア」の命式です。まさしく一生を三倍の早さで駆け抜けた天才です。






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