生命の基本仕様
生命のデフォルト=基本仕様 (アリマキ的人生、SRY遺伝子続き)
(15,7,6記、部分改)
子宮の奥で受精が成立した瞬間から、受精卵のプログラムはスタートし、一瞬
の立ち止まりもない不可逆な進行を開始する。この段階では受精卵の染色体型
がXXなのか、XYなのかは判別できないし、どちらかに関わらずプログラムは
生命の基本仕様にしたがって展開する。
受精卵は分裂して倍々に増え瞬く間に膨大な数となり、球状の細胞塊、ボール
のような中空のがらんどう構造をとる。やがてボールの皮(細胞で埋められた)
の一部が内側に陥入し(原腸)、反対側に達して開口しミクロなチクワができる。
最初に陥入した部分が肛門となる。(反対側は口となるわけだ。)
(原理的にいって消化管は私たちの身体の中心を突き抜ける中空の穴である。
私たちの遠い遠い祖先は、現在のミミズやナメクジのような存在だったのだか
ら。ナメクジウオがそれだと言われている。)
この後チクワに皺が寄ったり、くびれが出来たり、突起が伸びたりして、前後
と左右が区別される。徐々に生き物らしい形をとる。そして受精後6週間ほどが
経過するとその生き物は1センチほどの大きさになる。不釣合いに大きな頭に、
目や耳と思しき小さなくぼみや突起ができる。
**
この主題とは関係ないが、このヒトの受精後4,50日の相貌を具体的に調べ
た学者がいる。人に限らずだが「個体発生は系統発生を繰り返す」という命題を
追求したのである。
「胎児は、受胎の日から呼び折り数えて30日を過ぎてからわずか1週間で、
あの1億年を費やした脊椎動物の上陸誌を夢のごとくに再現する。」
32日のそれは「まぎれもないフカの顔」で、36日のそれは古代爬虫類「ハ
ッテリア」、そして38日には「それはもうけだものの顔、哺乳類の顔になって
いた」という。サメの顔から1週間後の40日に至って「爬虫類と哺乳類に新し
い人類の面影が加わり・・ぎりぎりの形で同居している」とか。(そらおそろし
いスケッチがあります。)
6週間というとこの頃になる。
( 『胎児の世界』 三木茂夫 中央公論新社 )
* 人も生命の基本仕様は女である
小さなトカゲのように見えるこの生き物は次の1週間に急速にヒトらしくなる。
頭が丸くなりそれを支える首ができる。手足が伸びる。体長は2センチちかくに
なる。尾が消えておなか、お尻、太ももがはっきりする。
この時点では染色体型がXXであろうとXYであろうと、太ももの間には割れ
目がある。すべての胎児は約7週目までは同じ道を行く。生命の基本仕様は女な
のである。この後基本仕様に何ら干渉がなければ、割れ目は立派な女性の生殖器
となる。
もしこの子が男の子になろうと思うなら、何はともあれ割れ目を閉じ合わせな
ければならない。これが肛門から上に向かっての一筋の縫い跡で俗に「蟻の門渡
り」と呼ばれている。これこそが生命の基本仕様にカスタマイズがかけられたこ
とを示す痕跡なのであり、それを行ったのがSRY遺伝子である。
約7週目の頃Y染色体があれば、特別なタンパク質の働きでSRY遺伝子のス
イッチがオンになり、それにしたがって次々と流れ降る小滝のように(カスケー
ド)特別なタンパク質が作られ様々な遺伝子のスイッチがオンになる。
それらは女性生殖器を形成するもととなる組織を壊す指令を出す。そして作り
かえ=カスタマイズが、割れ目の閉じ合わせ作業が行われる。
また男性ホルモン(テストステロン)が生産され放出される。
これによって原始生殖細胞(卵細胞になるはずだった)が精巣となり下降して、
縫い合わされた袋状の場所(陰嚢)に納まり睾丸となる。
その後は睾丸からテストステロンが放出され続ける。
もちろん完全に縫い合わせると尿も精子も外へ放出することが出来ないから尿
と精子が通過できる細い空洞を残しながら割れ目は閉じられていく。
さらにどのように女性器から男性器が作られていくかは実に興味深い話ではあ
るが、残念ながらここでは割愛する。
(cf、 第六章、ミュラー博士とウォルフ博士・・ミュラー管とウォルフ菅)
「男性は、生命の基本仕様である女性を作りかえて出来上がったものである。
だから、ところどころに急場しのぎの、不細工な仕上がり具合になっているとこ
ろがある。」
要するにSRY遺伝子の働きで、女性としての基本仕様が途中からカスタマイ
ズされて男性が作られていく、つまり文字通りイブからアダムが作られるのであ
り、その逆ではないのである。
** 男は弱い
そしてここにひとつの問題がある。
「調査が行われた世界中のありとあらゆる国で、あるいはありとあらゆる民族
や部族の中で、男は女よりも常に平均寿命が短い。つまり環境要因が様々に異な
る場所で、いずれも男は早く死ぬ。」
「いつの時代でもどんな地域でも、そしてあらゆる年齢層にあっても男の方が
女よりも死にやすい。」
こうしてみると、歴史的、社会的にではなく、生物学的に、男の方が弱いので
ある。これはなぜだろうか。
また国立がんセンターのデータから「年齢が上がるにつれ、がん罹患率は高ま
る。そして圧倒的に男性の方ががんになりやすいことがわかる。60歳以降では
その差はダブルスコア以上となる。」さらに主要死因別死亡率からみても「男は
がんになりやすいだけでなく、感染にも弱い。」
すべてを説明するものではないが、「近年明らかになってきた免疫系の注目す
べき知見のひとつに、性ホルモンと免疫システムの密接な関係がある。
主要な男性ホルモンであるテストステロンは、免疫システムに抑制的に働くの
である。その理由やメカニズムの詳細は明らかではない。」
この「テストステロンこそは、SRY遺伝子の最も忠実なしもべなのである。」
「男性となるべき受精卵に運び込まれたY染色体上のSRY遺伝子が活性化さ
れ、一連のカスケードが動き出す。男性を象徴する器官が作り出される。
その中心に睾丸の形成がある。そして睾丸からは大量のテストステロンが、この
あと受精24週目まで放出され続ける。テストステロンは、筋肉、骨格、体毛、
あるいは脳に男性特有の変化をもたらす。胎児は全身にこのテストステロンのシ
ャワーを浴びて初めて男になるのだ。」
**
ここで一連のカスケードが動き出すときを「先に記したように受精後6週目」
(p205)としているが、先には「すべての胎児は・・受精後約7週目までは
同じ道を行く」(p153)とか、「プログラム開始後、約7週目。あるスイッ
チがオンになる」(p155)としているわけで、6週目か7週目か多分後者だ
ろうがはっきりしない。数日の差は当然あるので、「目」という幅を持たせてい
るのだと思うのだが。)
**
*
テストステロンの分泌はいったん休止後、思春期を迎える男性の睾丸から再び
大量に放出され、第二次性徴をもたらす。その後も高い値を維持し、加齢ととも
にゆっくり減少する。
「つまり、男性はその生涯のほとんどにわたってその全身を高濃度のテストス
テロンにさらされ続けることになる。これが男を男たらしめる源である。とはい
え、同時にテストステロンは免疫系を傷つけ続けている可能性があるのだ。なん
という両刃の剣の上を、男は歩かされているのだろうか。」
男の弱さは「男であることと表裏一体」なのである。
( 『できそこないの男たち』 福岡伸一 光文社新書 )