今回は雑談ということで

タイトル元ネタ紹介です。

 

お付き合い頂けたら嬉しいです。

 

「LAT.43°N」

 

Forty-three degrees north latitude より。

 

(フォーティー・スリー・ディグリーズ・

ノース・ラティチュード)と読み、

意味は北緯43° 

北海道のことを指しています。

 

北海道池田町出身の吉田美和さんが歌う

DREAMS COME TRUE」の「LAT.43°N

はドリカム屈指の名曲で、ご存知の方も

多いと思います。

 

 

 

 

よく北海道は歴史が浅いと言われますが、

史実としての記述が残っていないだけで、

実は多様な歴史を持った土地だと

分かっています。

 

「北海道」が日本の歴史上に

初めて記録として登場したのは、

阿倍比羅夫(あべのひらふ)の

蝦夷討伐によってです。

 

658年、斉明天皇の蝦夷討伐の

命を受けた阿倍比羅夫は

3度に渡る蝦夷討伐を行っています。

その際、蝦夷の粛慎(しみはせ)

と交戦し勝利を収め、

生きた羆(ひぐま)2頭、

羆の皮70枚を献上するという記述が

日本書紀にあります。

 

 

 

 

『大日本名将鑑 阿部比羅夫』

(月岡芳年画)

 

 

この粛慎というのが

何者なのかというのが

諸説ありますが、

北海道にしか生息しない羆を

献上したという記述から、

比羅夫が北海道に上陸し

交戦した説が有力です。

 

北海道といえばアイヌ民族を

思い浮かべると思いますが、

北海道にアイヌ文化が始まるのは

鎌倉時代からと言われており、

時代的に比羅夫が交戦したのは

アイヌ民族ではないと思われます。

(アイヌ民族発祥経緯は諸説あるので、

ここでは割愛します)

 

この粛慎と呼ばれる民族は

「オホーツク人」ではないかとする説が

有力になってきています。

 

オホーツク人とは、5世紀から10世紀にかけ、

北海道の海沿岸で独自の文化を持った

海洋漁猟民族でした。

 

アムール川下流域からサハリン北部で暮らし、

ロシア語でギリヤークと呼ばれていた

少数民族のニブフ族

ではないか言われています。

(諸説あります)

 

オホーツク文化はやがて擦文文化

(本州の土師器の影響を受けた

擦文土器を特徴とする)と融合し、

トビニタイ文化(出土物が羅臼町飛仁帯

だったことが由来)へと

移り替わった後、

オホーツク人達は忽然と姿を消します。

 

その後始まるアイヌ文化の特色を見ると、

擦文文化には無く、オホーツク文化にあった

羆崇拝はオホーツク文化を

受け継いだものと思われ、

オホーツク人はアイヌ民族と

融合したのではないかとされています。

(諸説あります)

 

オホーツク文化に関しては、

まだまだ興味深い話が多く、

書いていくと膨大な文字数に

なってしまうので、

この辺りで一旦区切りたいと思います。

 

興味のある方は

網走の北方民族博物館

モヨロ貝塚館が有名ですので、

是非足を運んでみてはいかがでしょうか?

 

 

今回のタイトルは

松山千春さんの

「大空と大地の中で」です。

北海道民なら知らない人は

いないでしょう。

 

松山千春さんと言えば

あの透き通る様な歌声です。

YouTubeで松山千春さんを

検索すれば、

色々な歌を即興でカバーしている

動画が出てきますが、

どんな歌も松山さんの

歌にしてしまう不思議な

歌唱力を持っています。

 

「長い夜」、「恋」、「銀の雨」、

「季節の中で」、「君を忘れない」等、

数多くのヒット曲を持つ松山千春さん

ですが、自分が好きなのは

 デビュー曲でもある「旅立ち」です。

 

1975年に「全国フォーク音楽祭」の北海道大会に出場するも落選。しかし、この出場を通じてSTVラジオの竹田健二ディレクターに見出され、翌1976年同局の『サンデージャンボスペシャル』内の15分コーナー『千春のひとりうた』でメディアデビュー。

 

Wikipedia 松山千春 より引用

 

その「全国フォーク音楽祭」の音源が

You Tubeにあるのでリンクを貼っておきます。

 

この歌で落選するのか?

と思いましたが、竹田健二ディレクター

の先見性には間違いはありませんでした。

 

「別れ」を「旅立ち」と称する

悲しい詩と曲が自分には

とても心に刺さりました。

 

 

 

 

 

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