誰もが公平な世の中って訪れるのでしょうか。

この問いを立てることすら、思い違いをしているのかもしれない。

不幸って、どういう定義なの?

お金が無ければ不幸か。お金がないと、比較的不幸なことが多い。

SNS、電気を使えないのが不幸なのか。

どんな物事にも二面性があるとしたら、SNSを使えても、電気を使ても不幸なことはある。

 

幸せって、誰かから提供されるもの?

提示されるもの?

この人、幸せじゃなさそうだからって、幸せのおすそ分けできるのか?

 

こういう問いは立てる側の人間は、自分と同じような生活を送れていない人に向かって、考えてしまうことが多い。

これも、思い上がり甚だしいか。

 

SDGsに取り組むこと。

全世界が納得のいくものになるのか。

全員が幸せだと思えない場合、どれくらいの規模や賛同が得られたのなら、幸せと定義するのか。

誰かが我慢する世の中は、幸せなのか。

仕方ないという人は、必ずしも、不幸側にはいないと思う。

 

もはや、地球に生命体として、感情をもって、打算的にもなれる、独りよがりにもなれる気持ちを抱き得る存在になってしまったことが不幸か。

しかし、全世界の人間にとって、これを不幸といえるかは、また別問題。

 

始まれば終わる、ということだけが真理。

だとしたら、人間の世界もやはり自然の摂理に漏れず、終わるのかもしれない。

 

正解を求めすぎか。