良かった。知的な討論。

強靭なその人の見解を叩くためには、表層の切り傷のような攻撃をいくら与えても仕方ない。

もっと原始の階層へ、いな、臓器に直接ダメージを与えるような攻撃でなければならないと思う。

それが、当該考え方に使われる言葉や言葉と言葉の関係性の位置付けであったり、その人の価値観そのものである。

そこを掘り下げて、整理して、攻撃していく、ということが最も肝要なのである。

お互い、それを行ったのではないか。

ただ、知識は知識の状態でぶつけても、それまで。

時間をかけて知恵にして、様々な角度から知識が検証されることで、本来の使い方を拾得する。

その意味では、三島の言のほうが、より質の高い、全体的な攻撃に仕上がっているような気がしている。

全共闘の中でも、頭脳派、武力派はいるのだから、その辺の整理がうまくいっていない部分があったことは、全共闘のというか、学生の弱さなのだろうか(怒られそうなので、この辺で)。

でも、両者の言葉にはそれぞれ力があって、熱情があって、生きているかのうようだった。

その言葉が、身に染みて痛かった。言葉に力があった最後の時代。これは、正にその通りだと思う。

言葉と思想と行動が一体的で、非常に高揚した。

世界を変えるのは、認識ではなく行動である。

 

僕も、甘えることなく、熱情をもって生きていきたい。

そういえば、吉田松陰の、「狂」も自分さえ持て余すほどの情熱を持て、ということであったなぁ。

ぼくは、まだまだダメだなぁ。

昔の人は、尊敬するよ。かなわない。