幸運なことに、ここ15年くらいは、誰かのお葬式に参加することもなく生きてこられた。

親族付き合いというのも、ほとんど無いからかもしれないし、限られた少数のお付き合いのある親族が健康であったから、そういう状況であったのだが。

しかし、15年もたてば、様々なところが老いてくる。

どうにも、避けられないし、抗えない。

社会人になり、少しずつでも、恩返しというか、恥ずかしいから明示的な恩返しこそしないかもしれないが、恩返しの雰囲気を創り上げていける時期に差し掛かったのに、これだ。

いつまでもあると思うな、親と金。

というが、そういうことだろう。

僕は、常に、幸せの大きさにこだわって、溜めて返す。

しかし、これこそ小出しすることが求められているのではないか。

もともと、幸せに大小はあるのかと、そういう問いについても考えてみなければならなかったと思う。

幸せを作るのに、物質的であるプレゼントとか金一封だとかを入れてしまうと、どうにも、多寡なり質なりが気になってきてしまう。

しかし、いつも、そういうことではないと思う。

言葉だとか気持ちとかそういうことのほうが重要で、むしろ、これらに包含されているのではないか。

だから、照れが止まないのだが、小出しにできるようなメンタルというか大人っぽさを早く備えたいところ。

 

それにしても、親の急激な老いを目の当たりにして

(夜にブレンドコーヒーを飲んだからとはいえ)

昨日の夜は、よく眠れなくなった。

これこそ心臓に悪い。