全てを具に露わにしていくことは、私の美意識からすると正反対なんだよ。
骨と骨をパキパキと連結していく、粒を正確に並べていくことで、栄養失調のような文章を作り上げると罪悪感で身が捩れないか?
肥満体型は嫌だけど、健康的なメリハリのある文章でいいのではないか?
しかし、論理は、私の思うメリハリでさえ、余分な贅肉だと認定するであろう。
僕は常に、素の自分を逆張りにして生きている。
でも、なんだろう。
健康的なところだけで生きていくと、それが結局不健康な生き方を招くこともある。
だから、まぁ、これくらいのストレスというか、縛りがあってよいのだ
と、ここも常に内臓へ落とし込むのである。
いつもいったりきたりして、同じところに落ち込む。
結局、あれか、私の芸術とか表現というのも、このままでは型のあるものとなり、論理的であるという評価を免れないのかもしれない。
瞬間瞬間、違う一面を見せられるように、多方面で生きていく。
これで、論理という形式では捉えきれない、自己表現が完成するのだと思う。