生温い風が吹き荒れる中、街燈でジリジリと照らされた黒い坂を早歩きで駆け下りる。
タクシーと山手線に照らされて、思わず視界の逃げ場をうしなって、正面を見るしかなかった。
しかし、そこで初めて、速度の違う光が襲ってきたのが分かったし、その違いにいつも以上の気持ちを注ぎ込むことができる。
僕は思うのだけれど、小説家が小説家だけをやるようになったら、それは、違いや同じの濃度が薄くしか感じ取れなくなって
やがて、のっぺらぼうのような文章を書くに留まってしまうのではないか?
よく分からないけども。
だから、現実を過ごす人でもあり、何か芸術を生み出すような人でもありたいわけだ。
それが、中途半端であっても、敏感なココロだけは失いたくない。