計画的に行きたいと思う。
一縷の、一寸の、寸毫の時間さえも無駄にしない生き方とは、このことか。
しかし、私は目指すけれども
やはりどこか人間的で、中だるみといいますか、欲に流れてしまうことがある。
いつもそうしない分、緩めるときの緩め方は、実に大胆である。
だから、人の倍は後悔して、リスタートすることが多い気がする。
しかし、人間は感情があるせいか、合理的に生きられないものだと思う。
経済古典に触れたとき、経済とはひどく理屈っぽいもので、いつまでたっても、XやY、D、S、GDP、政府、失業率だとか、いって、まったく揃わない粒を無理に揃えて何とか論じようという学問だと思っていたのだが
存外、そのようなマクロな視点ばかりのケインズを批判し、ミクロの観点もとりいれ、さらに人間の行動について哲学的にも言及して、経済を論じようとする者もいる。
そこでは、人間は合理的に行動できないとする。
それはそうだとは思う。
でも、それだから、人間のやることは、非決定的で、運命などという言葉で間隙を埋める芸術性なりストーリー性が発生して
生きるのをやめられなくなるのではないか?

勝手に飛躍し過ぎた。
仮に、これが論理的なものであっても、幹から枝へ、その枝の葉が舞い散って、別の枝、幹へと到達すれば
こういう話になることもあるのではないか。

結論、何が言いたいかと言えば
日々、満足の基準がブレてしまう、もともと幅があるため、どうにも、満足して死んだように眠る感覚というものに久しく会っていないのである。
大学時代は、いかに幸せだったのか。
プレッシャーとプライド、責任感、好奇心、論理的な自分と感情に訴えかける自分を区別できた時間、極端に純度100%に物事にあたれた時間。
ひどく懐かしくて、胸が焦がれる。