この「好き」には段階があるのだと思う。
もちろん、「大」をつけて修飾すれば、文字通り、程度が変わって段階が生まれるのだけれど、そういうことを言いたいんじゃない。
「好き」の1段階目は、まぁ、好きということ。当然のこと過ぎて説明ができない。しいて言うなら、現在進行形で好きってこととか?
「好き」の2段階目は、一回離れたとしても、時間をおいたとしても、好きだということ。どんな時制になっても、好きな気持ちを持てるということ。
物質も人間も時間の経過には抗えない。
現在、好きだった状態から変化する。劣化する。減少する。思い通りにいかなくなる。
それで、もしかしたら、嫌いになってしまうのかもしれない。
でも、好きだったものが、劣化しても、一部分が減少しても、思い通りに扱えなくなっても、それは自然なことだから、それを受け入れることさえできれば、自分の対象物に対する距離感は、実質的には変化ないのでは?
もう、過去のことだから分からないとか、昔の自分になれないとか、時間を置けば当たり前だし、そんな理由で、距離を置き続ければ、状態はもっと悪い方へ進行する。
だから、そういう現在の気まずさとか敬遠とか、やめて、思い切って、やってみる。触れてみる。
そうすれば、懐かしさが時間とかを気持ちを埋めてくれるのかもしれない。
過去のある時の自分と違う気持ちで接するから、新たな視点で触れることになり、新たな魅力に気づくかもしれない。
だから、離れても、何度でも、アプローチしようとか、アプローチできることっていうのが、過去のある時点だけではなく、時間を超えて、立体的に「好き」という状態である。
そこまでできれば、もう一生触れると思う。
だから、できれば怖がらずに、手を差し伸べてみてほしい。