水泳と法律の勉強の違いについて。

競泳のコーチをやっていて、それなりに努力はして結果もプロのコーチには負けるけども、出してきたつもり。
それと、法律の勉強における自分の立ち位置にやはり差がある気がする。
それについて、ずっと考えてきた。
未だに気づけていない点があるかもしれないけど、ここらで中間報告。
 
運動と法律の世界の違い。
それは、理屈を振りかざす先は、生身の肉体であるか否かの違いがある。
法律の世界には原則と例外がある。例外は、どうしようもない事態が起きたときに初めて考慮される。
その時は、趣旨や目的に遡ったり、当該事案の特殊性に着目して判断が下される。
他方、運動の世界にも同じように原則がある。しかし、当然想定されるように例外の事態に直面することは乏しいはずである。
例外の事態とは、奇跡にほど近いし、もう少し現実味を帯びた表現をするのなら、特殊(特異)体質というところであろう。
原則の親の遺伝子からは、原則どおりの子供が生まれる。突然変異や隔世遺伝はありうる。でも、その程度。
だから、原則論をいかにさらうかが重要である。
様々な文献にあたり、経験を蓄積させ、事に当たる。ある意味、それで足りる。
でも、法律学は、もう少し頭の捻りが必要である。何度も何度も繰り返し同じことを読み、理解を深めるという頭の使い方をする。
誤解を恐れずにいえば、外に浅く開く勉強と内に深く勉強の違い。
根本的にスタンスが異なる。
もちろん、運動においても、原則論を深めることは重要だし、原則論ですら未解明の事柄もある。
だから、ざっと感覚的な考察に過ぎないのかもしれない。

ただ、何となくそう思った。
考察は、続く。