科学者はなぜ神を信じるのか コペルニクスからホーキンスまで

 

読了。

(自然)科学と宗教。

法律学における理屈と人情のように、対立する二項についてどのように考えるのかということである。

もっと身近なところでいうと、主観と客観。

刑法学的な話題だと、主観と客観の統合体が行為。

つまり、相対立というか極端同士を重ね合わせると、ある1つの概念が生まれてくる場合もある。

 

さて、法律学における理屈と人情。

これは、どちらかというと、紛争解決の場面で、その占める割合を気にする傾向にあろうかと思う。

科学と宗教。

これは、排他的なのではないかと考えていた。

なぜなら、科学で説明できないことを神業とすれば、科学と科学、自然法則と自然法則の間隙を埋めることはできる。

科学の発展、とくに宇宙を解明していくことで、神様がなさったこと、神様の存在自体危うくなると思う。

 

ただ、一流の物理学者に宗教家は多い。

その矛盾についてよく理解できた。

ここに矛盾はないのだ。

神様がなさったことを人間でも理解できるように説明しているだけではないのか。

宇宙の神秘を解明することが神様の否定に直ちに繋がるとは思えない。

ローマ法王でさえ、科学との共存を宣言する(ただし、ビッグバン理論よりも以前の謎を解明することには消極的であったらしいけども)。

 

神様の言葉をもっとより理解したいと思うから、探究する。

知的好奇心を神様のために捧げることは、人間の定めだと考えることもできるはずだ。

 

対立項の共存ほど、神秘で思考的に美しいものはないなぁ。