過去を振り返ることは、数年前の私にとっては、どうにもつらいことであった。

それは、(私程度のものが)完璧主義なところがあるからであった。

あのとき、こうしてれば、この子を…

なんだ、この緩みは、レストは…

という感じなのである。

事後的に検証すれば、いくらでも、非効率的なところは指摘できるし、それは先の見えない人生において、野暮でありますのに、どうにもそういう観点を捨てきれなかったからなのです。

 

今は、もう少し、見れるようになったと思う。

なぜだろうか。

少なくとも水泳をやっていた自分の現役の余韻というものさえ感じられなくなった、余韻すらも切れるくらい水泳から離れてしまったから?

時間的にも物理的にも、それは言えると思う。

それとも、まったく違う世界に足を踏み入れたから?

それも間違っていないだろう。

そして、過去の自分の振る舞いについて、理論的に説明し尽くすことにも多少の面白さを感じたからでしょうか。

自分や他人のことも含めて、外野がとやかくいうのは、歳老いた証拠といえるかもしれません。

 

この立場まで、なんとかこれて、一流企業で立派に働いている仲間に対して、卑下するような気持ちを抱くことは少なくなったと思う。

これは、学者の道を突き進むある後輩と、真剣に議論し、共有した想いでもある。

私は、理屈以上に感情をこめてやりすぎるきらいがあるから、この点は、人よりも楽観的に生きることが難しかったのだと思います。

しかし、内的な成長は非常に遅々としていても、外部的環境、肩書が、背中を後押ししてくれるという摂理にも気づけたような気もしている。

 

とまぁ、やたらと遠回しなことを書き綴っているけども

つまり、お酒を飲み、落ち着いて友人と過去の自分を笑えるくらいの余裕は、生まれつつあるということです。

改めて、ここまで応援してくれた友に感謝するとともに、この応援に見合う以上のさらなる成長を遂げ、この現代社会をよりよくしていこうと考えています。

そして、男女関係の幸せも追求するものであります。

 

ただ、まずは、友人の末永い幸せを祈るものであります。