何かを変えようと思って、声を必死であげるのは重要だと思う。
そうしないと何も変わらないから。
物音でも立てないと、会話は途切れない。注意は向けられないから。
でも、こちらに気を向けさせたあとに、どうやって会話の中に入っていくか。
会話の中に入って、トピックを自分の願う話題にするか。
それは、建設的な意見だと思う。
感情は大事だ。言葉に重みが出る、熱を帯びれば、その温度で思わず火傷して、そっちを見ると思う。
でも、一度反射したら、そこで終わってしまう。
それは、変えようとしている人の議論じゃない。
法律を変えようというなら、最後に決定するのは法律家なんだから、その人たちが変えようと思うような議論をすべきではないか?
誰かの声を代弁することは大事、何かがおかしいというのも大事。
でも、そっから先は、制度中のプレゼンスや周辺との連結の問題。
昨日、FACTFULNESSを読破したからかもしれないし、自分も法律家に近づいてしまったのかもしれないけれど
ドラマチックな話をすることは大変人を引き付ける。
でも、それは果たして、等身大の姿として話になっているか?
それは少し疑問だ。
ここがおかしい、ここがおかしい、不合理だ。
じゃあ、具体的に何を変えようと考えているのか。
その答えがない。
僕の質問は真意を捉えてもらえずに終わり、そして、かつ感情的な言葉で否定されて終わった。
なんか、ちょっと失望した。