私はやはり、とくに同じ年の人間と距離を保つきらいがあると思う。

體育會生活で、上下関係を原始の階層まで叩き込まれた結果、例外はあると理屈で整理しても、身体が勝手に反応することがよくある。

 

昨日は30歳くらいの修習生とこの点について議論を交わした。

私は、非體育會者に體育會のルールを実行させようとする考えはないけど、自分は忠実に実行してしまう。

熱烈に敬語解除の要請がきた。

今日から割と努力はしている。

 

さて、同期。

やはりコーチ時代というものは自分に他人が容易に経験できないことをさせてもらった。

ポジティブやプラスな出来事が非常に多い。

でも、物事には二面性がある。

だから、ネガティブだったりマイナスなことにもきちんと目をむけなければならなかった。

 

同期のコーチをやるためには、当事者という距離感ではうまくいかない。

だからこそ、自分をひたすら殺して客観的に生きてきた。

それが染みついている。

また生来、秘密主義なところはある。

 

しかし、なんだろう。

自分自身が赤裸々にならないで、何を変えようというのであろう。

熱意は燃やしているけども、ガラスケースに入れられれば、目で見ることしかできやしないのではないか。

僕は、ここにきて、意外と自分の班のメンバーを居心地の良いものと捉えているのかもしれない。

だから、失敗とかプライドの喪失とかそういったものをおそれずに

正面からぶちあたっていくべきなのではないか。

 

自分の内面が明らかになったのなら、また増築すればいいのだと思う。

このままでは、現在の自分というスペースを宇宙に向けて押し広げることは永遠に叶わないと思う。