内側から見続けているのはダメな気がしています。
物事は多面的、すくなくとも、二面性がある。
それは内側からと外側からで定義づけられる。
純愛のためには、一歩外に出て眺めてみなければならないと思う。
それをしないと、どこかで見誤る。
慣れは人間生活で避けては通れない。
従順なフリして慣れから目を背ければ、きっと。
慣れは、どんなに心地よい想いも、奪い去る。
ある意味、大変怖いものだと思います。
それに、外の空気を吸って、新しい人間と交流することで、新しい見聞を広めたいと思うのは、どうしても捨てられない僕の気質でもあります。
気質というか主義でしょう。
吉田松陰先生の、飛耳長目という考え方は僕の中にも浸透しています。
私なりの生き方を追求できなければ、私は生きながらの死を迎えると思います。
これは、大層な考え方でしょうか。