禅寺で坐禅してきた。
目まぐるしく動くことと対極にある静止という時間。
全ての物事は対極のものがあり、それらを包括的に把握することが全貌を知ることだと考えてます。
何もしない。
考えさえ止めてみる。
相対的な目まぐるしさにいては、緩急も感じられないだろう。
そういうわけで私の人生や時間のスピードそのものを改めて実感したのであります。
私は例の日(合格発表)が近づいてきて、なにやら落ち着かない日々を送っています。
私は大変弱い人間だと認識させられています。
どこか微動だにせず泰然自若の如し芯の強さを手に入れたと思っていましたが、それはあくまで他人と心中する際のそれであって、自分と向き合うことの中で発揮される性質のものではなかったのかもしれません。
もちろん、全く影響がなく、全く育ちがないわけではないと思います。
しかし、ダイレクトではなかったことを強調しておきましょう。
自分の限界を知ることは自分と向き合うことだと思います。そこでは、自分の実像を知ります。浮き出てきます。
それは自分の現在の限界ではありますが、私はいつの時点でも限界を作りたくない。
それゆえ、余力や余地をぼかし、抽象的に把握することを意図的に繰り返していました。
それは自分の中で、『まだ』という部分を作りだすことで、絶望や枯渇を回避することができます。これにより、ある意味ポジティブな自分を保てます。
もちろん、内心では自分の未熟さに猛省はしています。
ただダイレクトにとらえないことでダメージを軽減していました。
このように私は大変に弱い人間でした。
だから、特にここ一、二週間の落ち着きのなさは弱さそのものではないかと思っていたんです。
でも、このメンタリティの具合というのは、どうにも、選手だった頃の自分の、そして、コーチ時代の試合前のメンタリティの進行具合と変わらないように感じてきました。
直前期に散々不安がって騒いで、超直前期にかけて、ココロの中を静寂が支配していきます。
なにか重い液体がゆっくりと床を伝うように。
それで騒いでいた軽い気持ちが軒並み、地面に引きずられていくのです。
いまは、そんな時期です。
だから、実はそんなにも自分の過去や積み上げ、成長を無に帰せしめるような事態は起こっていないように感じました。
周りには色々、とくにパートナーには何度も励まされています。迷惑かけた。そして、ありがとう。
あと2日で決まります。