私は振り返らないようにしている。
なぜなら、過去には今の私よりももっと未熟な私がいるから。
たぶん、今よりも誰かを助けてあげられないだろうし、面白くもないだろうし、愛するチカラも弱いだろうと思うから。
あと、オトコとして安定的な身分を得ていない、経済力のない頃の自分がどうにも恥ずかしくて直視できないから。
だから、振り返らない。
何のためにブログを書くかといえば、現在と未来のためだ。
しかし、自分のそれまでの人生をかけた試験が終わって、その結果があと少しで発表されるというこの時期に限っては、無性に感傷的になる。
1年前の自分はどうしていただろう、2年前の自分は何を考えていたのだろうと。
つまり、精神的にも肉体的にも合格への手掛かりになりそうなフラグメントを探し求めてしまっている。
悪い所為のように書いた。
それはじぶんのルールを破っているからだ。
世間的にはどうってことないだろう。
一瞬一瞬が勝負を助ける道具であった。
だから、それをいくら積み上げられたかを気にしてしまう。
體育會生を引退し、徐々に一般人へ帰化していく過程が時間的にみて成長を物語り、寂しくもさせる。
しかし、過去のある一瞬の煌めきは、どうにも記憶だけを頼りに捉えることはできない。
記録だけが頼りだ。
同時に見たくもない未熟さと対面させられるのだが、存外悪いものでもなかった。
この先、これまでの4倍は生きていく。
また複雑な環境に置かれる。
初心はどこにあったのかと思い立ったときに、帰着できる場所があることはいいことだ。
ただ、あの頃のブログは、密かに恋心を寄せていた人に向けて、良いイメージを持ってもらうようにするために、やや背伸びがちであることは否めない。
そこも、笑けてくる。
新しいものを吸収して取り入れていく中で、良かった過去の作品も温めていくことが絶えず対流のある人間になれるコツではないでしょうか。
対流の先にあるのは、熱でしょうか。