人を勇気付けたり鼓舞して引っ張り後押しすることは私に中身がなくてもできるのかもしれない。
自分が誰かを影響させられるような能力があるとかいう話をしたいわけではない。
相対的な話。
大学體育會のコーチ時代を思い出す。
今は、結果に震えてる。
たぶん、またこの自分で詰め込むしかない生活を1年送ることに対する絶望感と自分は一定水準の学歴的な意味での成功を続けてきたからプライドがあるからだと考えられる。
取るに足らないものではない。
あとは、男子だから。
男子に失敗という選択肢は許されない。
失敗は成功の母と言いつつも、男子がやると決めたことは死ぬ気でやり通さなければならないという原始的なプライドもある。
結局周りの目が気になる。恥ずかしいと思う。
私の夢はどうする。
今は、まるで先のことを考えられていないと思う。
ある1つの道へ歩み始めたからこそ、そこで転ければ、数年前よりも周りに何も落ちていないことに気づく。
ここからは、どうやら覚悟の強さの問題な気がしている。
不合格が怖い、不合格で生活がどうなるかわからない、親にまた迷惑をかけるのか、果たして社会人になれるだろうか
という思いが頭の中でいっぱいになる。
今日は法律から離れてみた。
フィーリングがあった本に読み耽った。
でも、それらはつまるところ、自分の本筋の周辺学であり、プラスアルファの要素である。
コアが成功を収めなければ、散りばめられ広範な知識もまるで光ってこない。
他人にあれだけ激励してきた自分がいかに弱いかを思い知っている。
そうすると、あのときすら、軽いコトバを言い続けていたのかと呪いそうにもなる。
まぁ、もちろんあのときは全身全霊。
虚構の自分はいない。
これは不安によって過剰に自分を否定したくなっているだけであるが。