は、やや異なるものであった。
最近は、この点の違いを意識せずに論じることが多いかもしれない。
気をつけねば。
さて、指導について考える。
どこかの記事で、慶應高校と横浜高校の野球部の監督の指導論が似通っているとして特集されていた。
ここでは、①性善説、②主体性、③対話という3点がキーワードとして取り上げられていた。
今から自分のコーチ現役時代を思い出すと、これらに沿ってコーチングができていたのではないかと感じた。もちろん、不完全であることは否めないが。
まず、①について。
大学生になって週10回ものトレーニングをすると決心して體育會水泳部に入部した。それなら、どんなにトレーニングでボロボロになったとしても、水泳に対してヤルキがあることには変わりない。だからこそ、目の前の選手を信じてやろう。そういう思考である。
次に、②について。
結局、どんなに練られたトレーニングプラン、メニューも履践するのはあくまでも選手であってコーチではない。それだからこそ、提示をするだけでなく、本人がヤルキを出すようにコントロールしていくことも重要である。その過程では、必ず主体性の発揮が求められているはず。
そして、③について。
體育會は古き良き伝統として、上意下達というか、上級生の考えや指示は基本的に無視できない。しかし、これがあるために伝えたいことが伝えられなかったりすれば、ミスマッチは絶対に生じる。それが日々のトレーニングの効率とか達成度を確実に下げる。それの積み重ねが、結果を出すことから遠ざけるのである。そういうわけで、私は先輩や後輩との対話を大事にしてきた。先輩に自分の話を聞いてもらえる態度、素行、信頼関係等を作る。後輩に対しては、話しやすい雰囲気、聞く姿勢をもつことを重視してきた。
その当時は理論化できなかったから、うまくコーチの後輩には伝えることができなかった。自分の力不足を如実に思い知らされる。どんなに理論を勉強しても、経験を言葉にできるほどの蓄積がなく、また、事後的に正しいのか検証する術や時間を持たない。あのときの自分はどうしても未熟だし。全力を出してもできなかったと美化していいような時間ではない。
全力でやっていても後悔ばかりなのだから、手を抜くなんてことは無意識的にもしてはいけないのである。