私が偉くなりたいと考えるとき、一般的に批判に晒されるような内容を含んでいないと思っている。
いま、読んでいる本がたまたま筆者が偉くなりたいと思ったときのことを回顧している。
今まで、偉くなりたいとか言ったら批判されたり嘲笑されることか多かった。
たぶん、私の伝え方が下手だったからだと思う。
あと、偉くなることで自分の発言を現実にしたり、筋を通すことができると考えていたから。
ただ、後者については、目の前のヒトなり組織なりを悪いものだという印象からスタートしている。
ヒトが好きだったり、選んで組織に所属しようとしているのに、マイナスのまんま入り込もうというのは、
確かに感じが悪いなと思った。
この考え自体が殊更悪いものではないけれど、でも、落ち着いて考え直してもいいと思った。
偉くなりたいと思う人は、自分の良心に照らして恥じることがないか、恥を曝してまで偉くなりたいか、そこのところを考えたほうがいいらしい。
これは、伊藤忠商事の元社長の言葉だ。
私は、まだまだ無鉄砲で青臭く、世間を知らない。
世間というか自分がこの世界に対して何かをして、それがどういう見方をされるのかを知らない。
肝心なところで、自分の思想という補正をかけて美化してしまう。