今までの人生で局地的にでもオワリを感じた時期はない。
それは物心ついていなかったから、このような考え方に到達する前だったため意識したことがなかったから、私の人生との関係で次にやるべきことが明確に定まっていたから
などという理由が挙げられる。
一般的には大学のラスト半年ほどは、部活もオワリ、就活もオワリ、それぞれ卒業旅行へ行く。
私は、部活において遊ぶだけ遊んで、なおかつ法律家志望であったが故に就活もせずに引退の日を迎えた。
この日から浪人生活が始まった。だから、大学ではオワリを感じたことはない。
そして、何とか1年間でロースクールへ進学し、入学までのあいだは、遅れた分を取り戻すのに必死で
在学中はロースクールの日々の勉強、長期休みは本試験に向けた準備をしなければならない。
それゆえに、ここもオワリを感じるには程遠い。
またロースクール卒業後は、本試験に向けて全人格を賭けて臨まなくてはならなかった。
そして、日曜日に全てが終わった。
必要性が低めなやらなければならないことはある。
またやりたいことはある。
本試験の勉強が義務というわけではなかったけども1日の大半を勉強するとなると、義務感に変化していたのである。
それが無くなった。
しかし、せっかく鍛えた脳をこのまま衰えさせるのは得策ではない。
受験中から、トゥードゥーリストは作成しておいたので、少しずつ進むこととした。
今週末は久方ぶりに水泳のトレーニング理論を教える会が行われる。
私の中学の水泳部の後輩の弟からの打診。私が高校生のときのアルバイト先の水泳教室で当時小学6年生だった子。
1月に大学での最後の授業を終え、ほんとに水泳は最後かなと思ったが、微かに水泳に触れる機会は残されているようだ。
また同じように言うけれども、この遠縁よりも遠いのはなく
本当に水泳は最後かもしれません。