ラスト前でした。
新年明け。インフルエンザ罹患者も増えてきたようだ。
さて、来週でラスト。
このオワリに近づくにつれて、キモチがはいってきてしまう。
正確にいえば、何かを考えたり、感じることが増えるのであります。
コーチング(私の教育論の原点は結局ここにあります。コーチングは、厳密にいえば、教育者、医者、科学者、易者、役者という5つの立場から成るというのが私の学びの結果でした。これは、それなりに著名な本にも記されています。)ですが
重要なことは、自己の発した言葉に責任を持つということでしょう。
当然なのだけれど、これが日々やっていく中で、気づいたら見落としていたり、履践できずに、後から後悔することになるのです。
そして、深い。大変、深い。やり方に答えは定まっていない。ただ、求める結果は同じで、それに収斂されるのです。
自分が発した言葉、アドヴァイスで目の前の選手が学生がどのように意識的に取り組むか(ここは個人差あり。また、タイミング、量や質にも)、やった結果どのような面持ちでいるのか、客観的に変化したか。
指摘することなら誰でもできる。素人でさえ、何かの違いには気づく。
求められているのは、結果から考察し、次に何をしていけばいいのか、それが達成できたかを検証することだ。
そして、世の中には完璧などないから、半永久的にこの作業を積み上げるしかないのである。
ここに、一度の怠慢が挟まれば、信頼が揺らぐ。正しく積み上げられていないレンガ造りの家は、震度3でも倒壊する危険。
そして、言葉やアドヴァイスは、いうなれば、私の思想である。
思想は、常に立ち止って確認しなければならない性質である。
だから、自分の発した思想が果たしてどのように運用、浸透、反映、固着したのか。
もし、私がこのブログで繰り返し述べるところの思想を手にしたとしたら、思想は身体にまとわりついて存在しており
そして、その無形の言葉(音波)も私なのである。
つまり、私から切り離され活動していく思想について、私は最後まで責任をとらなくてはいけないのである。
このように解読してみると、至極当然の在り方なのではないかと改めて気づかされるのであります。
来週、ラスト。感慨深い。今から泣きそう。