えーと、幾つもあるのだが
本日は、そのうち、最近感じたものについて。
いや、この歳だから、新たな発見は少ない。
だから、再考ということでありましょう。
私は大事なモノを自分のココロにしまいこむ習性があります。
ココロの奥底の引出しに大事に包んでしまっておきます。
ものとは、人、想い、主張、信条、思想、趣向、恋心その他、一般的に個人を特定する性質を有するものをいう。
私の尊敬する人は、全て全開なのである。
全開とか剥き出しのことであり、美しくないと考えています。隠すことが美であり、己の個性を知らしめることは、予測可能性を与える反面、私の言動や行動、帰結を先回りすることができるようになります。先回りとは、おそろしいことである。
自分が気づいたら知られているというのは、背筋がぞくっとします。
あとは、自分の底を知られたような気持ちがして、自分が大したことのないニンゲンであることがばれたと感じさせます。それは、恐ろしい反面、悔しいのです。
誰にも把握されないことが、その人の能力の無尽蔵さを表しており、それが、誰にも負けないステータスになると考えていた。
しかし、把握されないことが、わかってもらえないことに繋がり、意思疎通に破綻を招来せしめるのであります。
あぁ、こわい。剥き出しの私とは、いったいなんでしょうか。
熱を帯びていて、実体が掴めない思想体でしょうか。
それなら、気分転換と健康維持のためではありますが、懸命にトレーニングして培った私の肉体とは、私に対してどういう意味をもつのでしょうか。
誰か教えてください。
そして、鉄は熱いうちに打てといいます。
私は、結局、自分の中の大事なものが矢面に立たされ、攻撃されることに覚えている小心者なのです。
鉄は熱いだけでは、刀にもその外の鉄製品にもなりえず、ただの鉄の塊で終わるのです。
あらゆる方向から、より力のあるものから、打たれ、打ちひしがれた先に、便利で使い勝手のある、そして、時に美しく、強いものになります。
わたしは、やわやわの鉄の塊を抱えたまま、生きているだけのようです。
それが、宝といえても、宝の持ち腐れ。
いずれにせよ、鉄の塊、腐る何かを持っているだけです。
悪い果実は良い果実も駆逐する。
そのような自然の摂理に従っても、私はジョジョに腐っていくことがわかります。
私がやるべきことは、もっと自分に自信をもつことではありませんか。
打たれた先に、ある完成品を目指して。
シンプルで一番難しいこと。
私は、比較をするのが得意でありますから、他人の青々とした芝をみて、自分の懐をみて、いつも悲しくなっていました。
自分で選んだ道なのに、なんて男らしくないのでしょう。女々しくもない。
女にもなれない。
自信をもつということはどういうことでしょうか。
直接間接のあらゆる事物で成り立っていると思いますので、この点は、もう少し考えたいと思います。
とにかく、私は、外枠だけ作っても、中身が満つるまで、ステイしてしまいます。
完成品だけを見せる世のなかではないです。
完成品だけで戦う世のなかでもありません。
見渡せば、及第点で勝ち上がる者もいます。
かっこよく生きるのも大事ですが、泥臭い時間も重要なのでしょう。
へたなプライドが邪魔して、息苦しくなっていた。
私の尊敬する人へ
うまれかわって、面前にお邪魔致します。