教育に対する熱意。
単なる法科大学院における活動に過ぎないかもしれない。
しかし、教育の相手方は、ニンゲンなのである。
そして、それらを教え導く立場に、一時的だとしても就任する以上は
自己を忘れ、奉仕しなければならない。
教育という経験は、結果として後からついてくるだけ。
それは決してお金にならない。
お金にならないことをやる非効率的な活動に従事することを自ら選択したのに
その活動の途上では、効率性をとる。
非効率的な活動のために効率性を求めるとはなんだ?
なじむものなのか?
共存するのか。
信念と需要によって決めるだけ。
教育者は、自ら決定する一方で、その中身を相手から決定づけられていると思う。
そして、それが最も重要なのだ。
典型的な目先の利益だけを追求するニンゲンにだけはなりたくないし
軽蔑する。
アタマの良さ?要領の良さ?
いや、なんの足しにもならない。
尊敬すべき年上がそうだと
なんだか疲れるね。